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現地住民との強いネットワークが5人解放へ

現地住民との強いネットワークが5人解放へ

Posted June. 10, 2006 03:34,   

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7日午前、ナイジェリア・ポート・ハーコートの大宇(テウ)建設事務所にいつものように出勤した現地人イメ(仮名)氏は、事務所長のイ・ホンジェ常務から緊急の指示を受けた。

高速艇で50分距離のコソン油田地帯にある大宇建設のガスプラント工事現場で韓国人社員5人と現地人1人が武装グループに拉致されたので、非常連絡網を稼動するように、という指示だった。

イメ氏はただちに、自分が属する部族の友人と武装グループが属する「イジャ(ijaw)」部族の関係者など10人あまりで構成された「交渉チーム」を作った。

●「ご飯は食べさせたの」

イメ氏は数回の電話の末に、拉致された社員らの安全を確認することができた。まもなく武装グループが朝食を提供したという消息も入ってきた。この消息は、現場の事務所を経てソウル大宇建設本社の拉致社員非常対策チームに報告された。

7日午後10時半(現地時間7日午後2時半)。拉致された社員らの所在把握にあわただしかった外交通商部と国家情報院は、大宇建設側の連絡を受けて、安堵の一息をついた。

1日が過ぎて、武装グループが拉致された社員らを解放する意思があるとマスコミに明らかにした8日午後(現地時間)。

ポート・ハーコート事務所でまた対策会議が開かれた。ナイジェリア・リバーズ州政府を助けて、武装グループとの交渉に出る人を選ぶためだ。討論の末に、イメ氏が大宇建設の代理人として出ることにした。

ポート・ハーコートからあまり離れていない所で武装グループと交渉をしたイメ氏は、外で気をもんで待つ大宇建設の社員らに「武装グループが朝食を提供した後は食事を提供せず、拉致した後、場所を3回も移った」と説明した。数日後、拉致された社員らは解放された。

●葬式には必ず行く

9日の0時2006年6月9日分頃、拉致された韓国人の社員らが40時間ぶりに解放されたのは、韓国政府の要請を受けたナイジェリア州政府の緊密な協調とともに、大宇建設が築いてきた現地の人的ネットワークが大きな役割を果たした。

大宇建設は1980年代の初め、ナイジェリア進出後、現地化作業に力を注いだ。拉致事件が発生したコソン油田地帯のガスプラント施設を含めて、大部分の工事現場には社員の半分以上をナイジェリア人に充てた。

今年3月までコソンの現場で勤めた大宇建設海外事業本部のソ・フェギョン代理は「ナイジェリアは大統領制の国家だが、コミュニティと呼ばれる各部族が地域別領域を持っている」とし「コミュニティの存在を認めなければ、外国企業は定着することができない」と話した。

大宇建設は、部族の主な行事に参加することはもちろん、トイレの改装工事まで行う。特に、当地で最も重要視される葬式には必ず参加した。

外国人を警戒する現地人もこのような努力に感銘を受けた。2003年8月当時、大宇建設のキム・ウソン(45)課長は、ポトハコト隣近のエザマ部族から酋長の称号を受けた。韓国人がナイジェリアから名誉酋長に推されたのは、「とうもろこし博士」で有名な金順権(キム・スングォン)博士以来、金課長が初めてだ。

このような人的ネットワークが、今回の解放交渉に決定的な役割を果たした。



ddr@donga.com