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対北朝鮮工作員、90年代半ばまで派遣 野党議員が暴露

対北朝鮮工作員、90年代半ばまで派遣 野党議員が暴露

Posted February. 16, 2004 23:06,   

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最近、映画「実尾島(シルミド)」で北派工作員(北朝鮮に派遣する工作員)に対する関心が高まっているなか、政府が1990年代半ばまで相当数の工作員を北に派遣していたことが明らかになった。

また、これまで北派工作員の遺族らに戦死通知書を送った数は極めて一部に過ぎないという主張も提起された。

国防部が最近、李敬在(イ・ギョンジェ)ハンナラ党議員に提出した資料によると、1950年代から、北派工作員のうち確認された戦死者は7726人だが、政府が戦死者の遺族に送った戦死通知書は136通に過ぎないという。

この40年あまりの間に、北に派遣されたか、そのために訓練を受けた工作員1万3835人を時期別に分類すると、韓国戦争中の1951年から1953年7月までに4536人、1953年の休戦協定から1959年までに3604人、1960年から「7・4南北共同声明」以前の1972年7月までに2806人などだ。特にこれとは別途に「実尾島」の背景となる1968年から1994年までは北派工作員は2000人あまりに達することと集計された。これは1990年代半ばまで韓国の工作員が北朝鮮へ派遣されていたことを裏付けるものだ。

政府が北派工作員の生死を確認しなかったため、遺族・家族らも大変苦しい思いをしなければならなかった。

肉体労働で身体障害者の妻と子供3人の生計を立てていたA氏は、44歳になった1962年、北派工作員にされて、北朝鮮に3回侵入し、結局、射殺されてしまった。

しかし、家族たちはこのような事実を全く知らずに40年を送った。2人の息子は生活苦を悲観して自殺するか保育園に行かせられ、夫人もこの世を去った。家族全員がばらばらになったが、末っ子の娘が父親の戦死通知書を受けて涙を流したのは02年になってからだった。

一方、李議員は「工作員の家族の悲運が続いたが、国家は40年が過ぎるまで戦死通知さえしなかった。これは国家が国民に犯した蛮行だ」と主張した。

李議員は「先月制定された補償法によれば、戦死者の遺族らに支給しなければならない補償金は1兆8500億ウォン台に達するが、政府が策定した予算は4500億ウォン台に過ぎない。政府がまともに名誉回復と補償をする気があるのかどうか疑わしい」と指摘した。

李議員はこのような内容を来月創刊される北派工作員月刊誌「大韓国人」に寄稿する方針だ。

これに対して国防部の関係者は「極めて敏感な部分なので、資料を提示できない。政府施行令によって計画どおり報償するつもりだ」と述べた。



jarrett@donga.com