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「高麗は高句麗を継承」中国王朝に認識あった 中国古地図で判明

「高麗は高句麗を継承」中国王朝に認識あった 中国古地図で判明

Posted August. 09, 2004 22:14,   

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中国の歴代王朝が「高麗は高句麗を受け継いだ」と認識していたことを裏付ける中国の古地図が多数公開された。

これは中国が高句麗の存在を認めたものと解釈できるため、中国の高句麗史歪曲に対して反論できる資料になるものとみられる。

延世(ヨンセ)大学東西問題研究所の金佑俊(キム・ウジュン、政治外交学部)教授は9日、記者会見を開き「中国と韓国の歴代王朝名が記録してある禹貢九州今州図(1209年)に『古朝鮮』『高麗』『東夷』『百済』『新羅』などの名称が韓半島一帯に書いてある」と説明した。

金教授は「もし、中国の言うどおり高句麗史が中国史に属するのなら、歴代中国の領土内にある王朝を記録した地図の特性からして、中国の北東部に『高句麗』と別途表記しただろう」と述べた。

同地図には、高句麗という名称は見当たらず、高麗という名称のみ高句麗の昔の領土である鴨隳江(アプロクカン)あたりに表記してある。

金教授によると、中国が高句麗を高麗と呼んだのは、学者たちの間では広く知られていることだという。

教授は「5世紀の長寿(チャンス)王のとき、高句麗が高麗と国号を改称したことは、中原(チュンウォン)高句麗碑を通じて確認することができ、歴代の中国王朝が高句麗を高麗と呼んだのは、隋書、新旧唐書のような中国の史書からもわかる」と述べた。

金教授は同日、中国内の文物出版社と哈爾濱地図出版社から出版された『中国古代地図集』第3巻から6枚の地図を切り抜いて公開した。

これらの地図には、韓半島一帯の国が「高麗・新羅・百済」「高麗・新羅・女眞・渤海」「高麗百済・新羅・沃沮」などと表記してある。

金教授は「この地図は、中国が韓半島の『古代3国』の中に高句麗を含めていたことを物語る」とし「このような歴史的な遺物と遺跡が『高句麗は高麗が受け継いだ韓国史』ということを裏付けている」と強調している。教授はまた「さらに、中国政府の『東北工程』に参画している中国社会科学院傘下の民族問題研究所のある博士も『高句麗は韓国の歴史』ということで認識をともにしている。政府は中国の歪曲を国際社会に知らせ、中国の覇権主義傾向を国際社会が警戒するようにすべきだ」と付け加えた。



申水晶 crystal@donga.com