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「農村児童の勉強部屋」陜川希望センターの奇跡

「農村児童の勉強部屋」陜川希望センターの奇跡

Posted November. 07, 2009 09:06,   

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「先生、障害者についてどう思いますか」

李チュンソン希望陜川(ハプチョン)センター長(40)は喉がつまった。センターの隅にしゃがみ込んで、言葉なく本を読んでいた子ども、キュヒョン(仮名、10)が、ついに心を開いたのだ。センターに来るようになって10ヵ月が経った頃だった。

「キュヒョン、障害は過ちではないんだよ。誰でも、いつでも具合の悪い時があるんだ」

「先生、私は大きくなって障害者を教える先生になりたい」

キュヒョンの父親は聴覚障害者、母親は交通事故で下半身が不自由だ。70歳を越えた祖母が家事をしまがら、キュヒョンを育てている。今年1月に李センター長が初めて会った時のキュヒョンの表情は暗かった。友達と話をすることもなく、大声で笑うこともなかった。

李センター長が、「一番したいことは何だい」と尋ねた時も、蚊の鳴くような声で、「ピアノをひきたい」とささやいただけだった。慶尚南道陜川郡双冊面(キョンサンナムド、ハプチョングン、サンチェクミョン)。英語教室一つない所に、ピアノ教室があるはずがなかった。この時、双冊教会のチョン・ジョンテ牧師夫妻が、教会のピアノでキュヒョンにピアノを教えると言い出した。キュヒョンは1週間に3回、約40分歩いて教会に行った。才能があり、すぐに楽譜を覚えた。今は教科書に出てくる歌は奏でることができる。

しかし、夏休みが過ぎて、キュヒョンがセンターに出てこなくなった。家で十分な世話をしてもらえなく、休まずに出てくることが難しかったのだ。李センター長とカン・ソンヒ事務局長(38)が、両親を訪ねた。20歳の時に交通事故に遭って以来、自宅にこもりっきりの母親は、「キュヒョンだけは、世の中と交わって暮らせるようにして下さい」と言って、李センター長の手を握った。そうしてキュヒョンは世の中へ歩み出した。

キュヒョンが暮らしている陜川郡は、慶尚南道の20の市郡の中で財政自立度が16位だ。65歳以上が22%にも上り、祖父母と孫が暮らす家庭や多文化家庭が多い。家族の力だけで子どもを養育することが容易ではない環境だ。

ここで、陜川希望センターが「奇跡」を生み出している。カフェ小学校の生徒や中学生64人、双冊小学校の生徒17人が、学校が終われば希望センターにやってくる。ほぼ全校生の数に匹敵する。バスで15分の距離に補習塾ができたが、誰も行かない。センターでは、フィリピンからの移住女性が英語を教える。センターの先生が宿題を指導し、学校の先生も定期的に訪問して、センターの先生と意見を交わす。

陜川希望センターは03年、10人の農家の女性が「子どもの家」が一つもない村に勉強部屋を作ったことで始まった。カン事務局長は、「昼には農作業のため、小学5年と6年の2人の息子を放置するのが常で、夜は疲れて勉強をさせる余力がなかったため、みんなで力を合わせた」と話した。各自10万ウォンずつを拠出して、町の管理事務所を借りた。母親らは壁紙を張り替え、父親は木を切って机とイスを作った。16人の子どもが集まった。子どもたちは、鶏の丸焼きやピザが食べたいと言ったが、お金がなくて、おやつはいつもサツマイモやトウモロコシだった。

李センター長が、「盗み以外はすべてした」と話すほど、いつも運営費が足りなかった。李センター長は、社会福祉士が勉強部屋を運営すれば、地域児童センターに登録して政府支援を受けることができるという話を聞き、資格の取得を志した。昼間は農作業をし、夜にはオンラインの講義を聴いた。カン事務局長は、「センターの人々と会食でカラオケに行った時も、李先生は一人で隣の部屋で試験勉強をした」と言う。ついに保育教師資格、社会福祉士資格を順に取得し、07年に地域児童センターに登録することができた。

今年、三星(サムソン)グループと社会福祉共同募金会の「子ども希望ネットワーク」事業の支援を受け、「陜川希望センター」に発展した。全国に12ヵ所ある陜川希望センターのような「子ども希望ネットワーク」は、地域社会のネットワークを基盤に貧困児童と家族を支援する。家族の解体を防ぎ、養育機能を強化し、家族と近隣の共同体を結び、児童保護のセイフティーネットを構築する事業だ。

三星が06年から3年間、45億ウォンを支援した。3年の期間だったが、今年から再び第2段階の事業に入った。1463人のキュヒョンが誕生したためだ。金ソンジョン・チーム長は、「一人の子どもを育てるのに村が一丸とならなければならないということわざのように、地域社会の参加がなければ、持続可能な支援が不可能だ」と話した。



woohaha@donga.com