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1700年代の仏・英地図、東海を「韓国海」と表記

1700年代の仏・英地図、東海を「韓国海」と表記

Posted August. 16, 2011 08:11,   

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「東海(トンへ・日本海)が韓国海であることは、数百年前、すでに世界各国が自国の地図に紹介していた」

光復節(クァンボクチョル=日本の植民地支配からの独立記念日)の15日、江原道寧越郡水周面(カンウォンド・ヨンウォルグン・スジュミョン)のホヤ地理博物館のヤン・ジェリョン館長(64)は、観覧客に展示物を説明するため多忙な1日を送った。行楽シーズンのうえ、日本が独島(ドクト、日本名・竹島)に続き東海を日本海に変えようとする野心を露骨に表している状況を受け、多くの観覧客が訪れているためだ。

ホヤ地理博物館が所蔵している18世紀始めから19世紀始めの世界地図には、韓半島の東の海が「Sea of Korea(韓国海)」とはっきりと表記されている。1748年、フランスのベレンの中国地図(L`EMPIRE DE LA CHINE)には、韓半島を「COR`EE」、東海を「MER DE COR`EE(韓国海)」と記載している。1749年、フランスのヴォゴンディの日本図幅地図(LE JAPON)にも、東海は韓国海と表記されている。また、1752年のべレンの日本地図(CARTE DE L`E MPIRE DU JAPON)も、韓国海と明確に記されている。

これらの地図に表記された日本海(MER DU JAPON)は、東海の場所ではなく日本の本州南方の海を示している。1772年、英国ダンビルのアジア全図には、東海が「GULF OF COREA(韓国湾)」となっている。

このような内容は、ヤン館長が昨年出版した『韓国の領土独島、東海の海、韓国海』にも詳しく記されている。同書によると、東海が西洋に初めて伝えられたのは、ハメル漂流記が出た1668年以降だ。韓国で生活した初の西洋人であるハメルが、ハメル漂流記を通じて朝鮮が半島という事実を伝えられるまで、西洋の地図に韓国は島と表記されていた。その後、韓国が半島ということが明らかになり、韓国と日本の間の小さな海が「韓国海」になった。

しかし、ヤン館長によると、19世紀以降、日本が韓国より西洋世界に伝えられ、西洋の近代地図では韓国海が日本海に変わり始めた。そして、日本海は1929年、国際水路機関(IHO)を通じて東海の名称に決定され、現代の世界各国の地図に、韓国海の代わりに登場することになった。

元地理教師で、07年5月にホヤ地理博物館を開館したヤン館長は、「現在所蔵している古地図は、教師の時から関心があって収集したものだ。日本の独島と東海への野心が表れるたびに、感情的に対応するよりも、このような歴史的事実を示す資料を体系的に整理・研究することで、日本の主張に堂々と論理的に対応する必要がある」と強調した。



imlee@donga.com