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「試練の韓国史、ポーランドに似ている」 法王の韓国愛

「試練の韓国史、ポーランドに似ている」 法王の韓国愛

Posted April. 04, 2005 00:25,   

한국어

ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は2回も韓国を訪問するなど、韓国に格別の思いを表わしていた。1984年5月3日、ローマ法王としては初めて韓国を訪れた法王は、金浦(キムポ)空港に降り立つと、すぐひざまずいて韓国の地にキスする「親口の儀式」を行った。

当時、法王は韓国カトリック200周年記念式典や韓国初のカトリック神父である金大建(キムデゴン)神父をはじめ103人の殉教者に対する列聖や列福を行うために韓国を訪れたのだ。法王の海外歴訪としては21番目の訪問国となった。法王は到着声明の冒頭で『論語』の「有朋自遠方來、不亦楽乎」を引用し、韓国語で「友人がいて遠くまで訪ねることが大きな喜び」と挨拶し、最後も韓国語で「皆様と皆様のご家庭、並びに韓半島の全ての人々に、平和と友情と愛を授ける神様の祝福があることをお祈りします。ありがとうございました」と述べた。

法王は訪問前に、ローマに滞在していた張益(チャン・イク、当時司教)春川(チュンチョン)教区長から週に3回、韓国語を習った。また、韓佑劤(ハン・ウグン)元ソウル大学教授が書いた『韓国通史』の英訳を読んで、「過酷な試練にも民族のアイデンティティーを守り続けてきた韓国の歴史は母国ポーランドに似ている」と話したという。

法王は最初の韓国訪問の時、約40万人が集まった釜山(プサン)での講話では、労働者に適切な賃金を払うことを求めるなど、当時の政情からするとかなり敏感な発言をしていた。さらに、訪問の最後の日程としてソウルのチャンチュン体育館であった若者との語り合いでは、「軍事政権の圧制を知らせる」と言って、数人の若い人が持ち込んだ「催涙弾箱」を快く受け取っていたことが最近わかった。

法王はその後の1989年10月7日、第44回世界聖体大会を執り行うため再び韓国を訪れた。10月8日、約65万人が集まるなか、ソウル汝矣島(ヨイド)広場で開かれた聖体大会のミサで、法王は南北和解に向けた平和のメッセージを読み上げた。

また、法王は韓国に大きな事件や災害が起きるたびにメッセージを送ってきた。2000年の南北首脳会談開催の時はお祝いのメッセージが、2002年の大型台風による災害、2003年の大邱(テグ)地下鉄火災事故や台風による災害の時は励ましのメッセージが送られてきた。

法王は北朝鮮訪問も進めていたが、最後までかなわなかった。2000年3月にローマを訪問した金大中(キム・デジュン)前大統領から訪朝を進められた法王は、前向きな態度を示した。以降、バチカンは平壤(ピョンヤン)に大司教を派遣したり、数十万ドルを支援したりするなど、訪朝に向けた雰囲気づくりに取り組んだ。しかし、バチカンが訪朝の条件として求めていた△北朝鮮でカトリック教会を認めること△カトリック神父の訪朝を認めることについて、北朝鮮が消極的な態度を示し、法王の訪朝は実現しなかった。



suhchoi@donga.com jkmas@donga.com