1973年8月8日に東京で起きた「金大中(キム・デジュン)拉致事件」は、韓国と日本政府の政治的妥協によって、捜査による真相究明がなされなかったことが明らかになった。
政府が5日公開した外交文書によると、事件解決に向けて同年11月2日、日本を訪れた金鍾泌(キム・ジョンピル)首相(当時)は、日本の田中角栄首相に、「韓国の大統領(朴正熙)が、あなたが困らないように配慮するので、『金大中事件』は忘れてください」と言った。
これに対して田中首相は、「金首相の訪日を機に、終わりにしましょう。日本側の捜査本部を徐々に縮小します」と述べ、日本側の捜査を打ち切って、韓国に捜査を一任することに同意した。
同事件のてん末は、当時の国家安全企画部の調査報告書を入手した98年2月19日付の東亜(トンア)日報の報道で大半が明らかにされたが、韓日の外交交渉の過程が、外交文書を通じてベールをはがされたのは、今回が初めてだ。
同日公開された外交文書は、作成されて30年が経ったが、国家安保や個人のプライバシー侵害などの理由で公開されなかった1947〜74年の文書のうち、昨年12月の外交文書公開審議会を通過したもので、191件、約1万7000頁の分量だ。
同外交文書は、6日からソウル瑞草区(ソチョグ)瑞草洞の外交安保研究院で、マイクロフィルムで閲覧できる。東亜ドットコム(www.donga.com)でも、主要文書の抜粋約7000ページを閲覧できる。
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