Go to contents

「74年の東亜日報広告弾圧時に、新聞読もうとハングル学んだ」

「74年の東亜日報広告弾圧時に、新聞読もうとハングル学んだ」

Posted July. 22, 2005 06:11,   

한국어

「世宗(セジョン、朝鮮第4代王、1397〜1450)大王に常に感謝しております。」自ら「半分は韓国人だ」と語るNHK国際放送局・制作センターのチーフディレクター、藤本敏和(56)氏。30年にわたり、韓国語で日本のニュースを伝えてきた韓国通だ。

「ラジオ日本・コリアンサービス」という番組で、ニュースと解説、日本語の勉強、視聴者からの便りの紹介などを、30分物に制作し、毎日6回送っている。機会があれば公営放送KBSテレビ(韓国放送公社)の国際放送の分野で、日本人に韓国事情を伝える仕事をしてみたい、との希望を持っている。

「日本から来たお客さんと一緒に、ソウル市内の店を訪ねることが多いが、従業員が顧客を無視したまま、プライベートな電話に夢中になっているのを見ると腹が立ちます。韓国や韓国人のイメージはどうなりますか。そんな時は、むしろ韓国語ができなかったほうがと思ったりもします」

1973年、NHKにアナウンサーとして入社した同氏の最初の勤務先は下関。大学で中国語を専攻した同氏は、韓日間を行き来する船の定期便「釜関フェリー」で、ハングルの文字を見た後、ハングルに関心を持つようになった。会社の仲間と、韓国語の先生を招へいして勉強をはじめた74年、「東亜(トンア)日報広告弾圧事態」が起き、ハングルへの学習意欲をさらに高めた。

「朴正煕(パク・ジョンヒ)独裁政権の圧力で、広告の掲載が中断されたとの話を聞いて、日本人の間に、東亜日報定期購読の運動が広がりました。私も購読することになり、ハングル記事が読めるようになることを目標としました。」韓国語放送関連の仕事は75年、東京に転勤してからスタートした。

「当時は韓国というと、独裁国家という否定的なイメージが強く、ハングルへの関心が少なかった時代でした。私は韓国語のおかげでもう一つの世界を知るようになり、有名人も取材することができました。」趙容弼(チョ・ヨンピル、歌手)、李美子(イ・ミジャ、歌手)、崔銀喜(チェ・ウンヒ、俳優)、安聖基(アン・ソンギ、俳優)、李ソンエ(歌手)、金セレナ(歌手)、金蓮子(キム・ヨンジャ、歌手)、羅勳兒(ナ・フナ、歌手)、鄭京和(チョン・ギョンファ、バイオリニスト)など。

同氏が、これまでにインタビューした韓国の有名人だ。李文烈(イ・ムンヨル)のベストセラー『われらの歪んだ英雄』を翻訳し、出版したこともある。好きな歌は『ソンハクサ』だが、むずかしい単語が多く、辞書を何度もひいたという。

「ドラマが好きでなかった私も『宮廷女官チャングムの誓い』(原題:「大長今」)、『オール・イン』などといった韓国ドラマのとりことなりました。最近の韓流を見ていると、隔世の感があります。過去史問題は、一日で全て解決できる問題ではないから、お互いに理解しようとする努力が重要でしょう」

※この記事は、釜山(プサン)に住む読者、金チヒョンさんの推薦で作成されました。



hanscho@donga.com