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平壌に「キルヒール」の女子学生、夜は暗黒の都市

平壌に「キルヒール」の女子学生、夜は暗黒の都市

Posted October. 04, 2012 09:26,   

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東亜(トンア)日報の中国通信員A氏が最近6日間の日程で、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)と金剛山(クムガンサン)などを見てきた。北朝鮮が、金正恩(キム・ジョンウン)体制発足後、陸上と航空路線の観光商品を次々に開設し、経済改善措置を推進していると伝えられ、変化と開放の現状を確かめるためだった。中国のメディアは3日、9日間の中秋節と国慶節の連休を迎え、遼寧省丹東と北朝鮮の新義州(シンウィジュ)をつなぐ観光列車が人気を呼ぶなど、中国人の北朝鮮観光が活発だと報じた。

●変化の兆し

北朝鮮に滞在している間、予想していなかった姿を目撃することができた。平壌市内では「キルヒール(Kill Heel=非常に高いハイヒール)」をはいた女子学生が目についた。膝上の長さのスカートの洗練された女性がタクシーをつかまえる姿も目にした。「最近はあのような人をよく見かける」と北朝鮮側指導員(旅行ガイド)が説明した。

旅行2日目に立ち寄った金剛山ホテルの前には、約10台の観光バスが駐車していた。この日の観光客は、内国人と西欧人を含め、300人はいるようだった。ホテルの1階には外国人が、12階には北朝鮮の住民だけが出入りするカラオケがあった。ここの北朝鮮の人々は、別の所よりも身なりが良かった。

現代(ヒョンデ)グループから没収したこのホテルは、北朝鮮が直接運営していた。指導員は、「ここは南朝鮮の現代グループが建てたホテルで、金剛山観光が途絶え、2年以上運営していなかったが、最近再開した」と紹介した。現代から施設を没収したという話はしなかった。金剛山を登りながら、指導員は現代が建てた施設を一つ一つ紹介した。ホテル以外のほかの商店などは店を閉めた状態だった。

帰国の前日、開城(ケソン)と板門店(パンムンジョム)に立ち寄った。板門店には、オランダ、スペイン、ドイツなどから来た西欧の観光客も40人ほどいた。英語と中国語が可能な案内員が通訳をした。驚いたことに、停戦談判会議場に置かれたテーブルに、西欧人と中国人を向かい合うように座らせた。案内員は西欧人が着席すると、「そちら側は(国連軍が座った)敗北席だ」と言い、雰囲気が気まずくなった。

韓国の財産を奪って、安保の要衝地まで外国人観光に開放し、必死に外貨を稼ごうとする様子がうかがえた。しかし、外国人観光にはまだ程遠い。金剛山ホテルの使い捨て用品には「朝鮮語」だけ書かれていた。外国人宿泊客は、「頭石鹸」と書かれたシャンプーをどこに使うのか分からずとまどった。

●観光地を離れれば、昔の姿そのまま

平壌や金剛山観光特区を抜ければ、周囲の風景からは長年の貧困を感じることができた。農村は、家というよりも、建設途中の建物が集まっているようだった。道路には車がほとんどなかった。時々見える軍用トラックは、まるで火事でも起こったかのように黒い煙を吐き出した。ガソリンではなく木炭を燃やすためだ。道端には、中学生のような軍人がヤギの群れをつれていた。

韓国人ではなく中国人であっても、現地の住民と一切接触できなかった。「清涼飲料」と書かれた道路脇の簡易売り場で飲み物を買おうと数回試みたが、店の主人は返事すらせず、すぐに指導員に制止された。

ホテルから見下ろした平壌市内は、非常に暗かった。一方、主体思想塔は明け方午前3時でも周辺が明るかった。苦しい電力事情にもかかわらず、金氏王朝体制を宣伝する施設には、夜中中明かりをつけておく旧態は依然としていた。

訪朝初日、平壌の順安(スンアン)空港で一行を乗せたミニバスが市内に向かう道路を走った。北朝鮮指導員は、往復2車線の高速道路と言ったが中央線はなかった。約20分後、「先軍革命、思想万歳」などのスローガンが見え始めた。市内には軍人が多かった。街の男性は多くが日焼けしてやせこけ、身長160センチ程度の小さな体格だった。

宿舎は、大同江(テドンガン)岸の羊角島(ヤンガクド)国際ホテル。外国人用の客室には17インチのブラウン管テレビがあった。市内には、20〜30年間工事が中断した建物が多かった。外装工事が終わった105階建の柳京(ユギョン)ホテルと万寿台(マンスデ)地区の倉田(チャンジョン)通りの高層マンションが、ここが首都という事実を確認させた。同行した旅行客は、「多くの地域が改革開放前の中国に及ばない」と話した。

●強力な偶像化作業

旅行の日程に含まれていた某所の協同農場・農家を訪問した時だった。ちょうど夏休みの宿題をしていた女子中学生がいた。粗悪な黄色の再生紙に心を込めて書いた課題のタイトルは、「偉大な指導者金正日(キム・ジョンイル)大元帥様、革命の歴史、夏休みの宿題」。最初の質問項目は「我が党と人民はなぜ(金正日)将軍様を金日成(キム・イルソン)首領様の後継者として高く崇めることを念願したのか」だった。

学生は、「革命の偉業を代々引き継がなければならない長期的な事業だ。偉大な将軍様は品格と資質を完全無欠に備えられた」と書いた。さらに、後継者をいつどこで決めたのか、金日成主席の思想がどのように継承されたのかなどを聞き、答える問題があった。同行した中国人に宿題の内容を伝えると皆驚いた。

偶像化は、昨年12月に死去した金正日総書記に集中しているようだった。住民たちが胸につける「金日成バッジ」は、「金日成・金正日バッジ」に変わった。金日成主席の名前だけが入っていた標語やスローガンも金日成主席、金正日総書記を並んで表記する形で新たに装い、平壌駅などの大型建物には、金日成主席の写真と金正日総書記の写真が並んでいた。

金正恩第1書記に対する偶像化も真っ最中だった。平壌の地下鉄の駅である復興駅や元山(ウォンサン)などの建物には、「先軍朝鮮の太陽、金正恩将軍万歳」というスローガンがついていた。スローガンが同じであることから、金正恩第1書記を称賛する表現が「先軍朝鮮の太陽」で統一されたようだった。平壌付近のある幼稚園の玄関入口には、「敬愛する金正恩将軍様、ありがとうございます」という標語を見ることができた。

指導員は金日成主席と金正日総書記に対しては称賛を並べ立てたが、金正恩第1書記に対して尋ねると、口を閉ざした。現実の権力に対する恐れのためか、まだ実体が明確に確認されてない未知の対象と感じているようだった。



koh@donga.com