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2006W杯体制急ぐ各国、今回出場19カ国の代表監督を解任

2006W杯体制急ぐ各国、今回出場19カ国の代表監督を解任

Posted July. 24, 2002 23:16,   

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サッカー2002韓日W杯は監督たちの墓場だったのか?

異変と波乱にとんだ2002W杯が終わって1ヵ月も経たないのに、本大会に出場した32カ国のうち19カ国の監督が入れ替わった。

韓国、日本、中国のアジア3国の監督は契約終了でチームを離れ、スペインのホセ・アントニオ・カマチョ監督など6人は留任を勧められたが自ら辞任した。本大会1次リーグで敗退したフランスのロジェ・ルメール監督など10人は解任された。

進退が不明りょうな5人を除いて、留任が決まった8カ国の監督も2006ドイツW杯の出場を豪語できないからだ。2004年欧州選手権で成績が期待に及ばなかった場合、いつでもお別れの通知を受けかねないからだ。

一方、韓国のW杯4強進出を成し遂げたフース・ヒディンク監督をはじめ、ブラジルに優勝カップを贈ったルイス・フェリペ・スコラリ監督、ドイツの決勝進出を果たしたルディ・フェラー監督などは、一部はチームを離れているがスーパースターに劣らない株価を上げている。

留任が決まった監督のうちもっとも関心を引くのはイタリアのジョバンニ・トラパットーニ監督。トラパットーニ監督は、韓国に敗れて決勝トーナメント1回戦で脱落したが、審判の判定に粘り強く異議を唱え続け、論議の末、今月17日に留任の通知を受けた。

イングランド初の外国人監督だったスベン・ゴラン・エリクソン監督も、2006年ドイツW杯まで采配を取ることになった。当初の予想を破ってドイツを決勝まで導いたフェラー監督も、厚い再信任を受けた。

また韓国と並んで4強に進出したトルコのセノル・ギュネス監督監督、辛苦の末の8強に上がった米国のブルース・アリーナ監督をはじめ、デンマークのモルテン・オルセン監督、アイルランドのミック・マッカーシー監督、メキシコのハビエル・アギレ監督が、それぞれ代表の指揮を執り続けることになった。

解任された監督では、番狂わせの主役だったセネガルのブルーノ・メツ監督のケースが衝撃だった。メツ監督は、W杯直後、アラブ首長国連邦のクラブチーム、アル・アインと電撃的に契約し、セネガルマスコミから集中的に非難された。メツ監督は、「セネガルから1年の休暇を得ているので、この期間だけクラブチームで仕事する」と主張したが、セネガルサッカー協会はとたんに解任状を出した。

W杯本大会の1次リーグで1ゴールも奪えないまま脱落し、前回王者としてのメンツをつぶしたフランスは、19日ジャック・サンティニ氏にフランスサッカーを立て直す大仕事を任せた。サンティニ新監督は、2000年からリヨンの監督として2001リーグカップ優勝と昨季リーグ優勝を導いた。

このほか、2002W杯の共同開催国だった日本のフィリップ・トルシエ監督の後任には、ブラジルサッカーの英雄「白いペレ」ジーコ氏を任命し、アジア3か国のなかで一番早く体制整備に取り組んだ。ポーランドは、韓国のW杯初勝利の犠牲になったイェルジー・エンゲル監督を退陣させ、70、80年代のポーランドのサッカー英雄、ズビグニエフ・ボニエク氏を新しい代表監督に任命した。スペインは、カマチョ監督の代わりにイナキ・サエス監督をいち早く指名。ロシア、クロアチア、スロベニア、ベルギーなどもW杯が終わると同時に新監督を選び、雰囲気一新をはかっている。

一方、「死の組」F組で1次リーグ敗退したアルゼンチンは、マルセロ・ビエルサ監督の後任選びでてこずっている。カメルーン、ナイジェリア、チュニジアなどアフリカ各国も、やはり大部分が新監督の選定をめぐって熟慮を続けている。



鞖克仁 bae2150@donga.com