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「金メダルも同然」 馬術決勝9位の快挙

「金メダルも同然」 馬術決勝9位の快挙

Posted August. 25, 2004 21:59,   

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「夢はかなう」

人は奇跡だというが、彼らは汗だといいたい。遠い他国で家族とも離れて送った3年余の時間。オリンピックを控えていても回りの関心はなかった。しかし、ゼロからスタートした彼らはとうとう「トップ10」の快挙を成し遂げた。

25日、マルコポーロ馬術センターで行われた2004アテネ五輪馬術の障害飛越団体戦の決勝ラウンド。崔(チェ)ミョンジン監督(48)とウ・ジョンホ(33)、ソン・ボンガク(30)、ジュ・ジョンヒョン(30、以上三星電子)は、9位で終了した後、優勝でもしたかのように抱き合って涙を流した。韓国馬術史上初めてオリンピック決勝に進出し、しかも10位内に入る貴重な成果を出したためだ。崔監督は「とてもうれしい。あらゆる困難の中でもよくやってくれた選手たちに感謝したい」と泣き声になった。

出場した16カ国が1ラウンドを戦い、上位10カ国が決勝ラウンドに進出して最終順位を決める同種目で、韓国は主催国として自動出場していた1988年のソウル大会で最下位にとどまった。1992年のバルセロナ五輪でも最下位で、決勝は夢にも見ていなかった。1996年のアトランタ五輪では馬の負傷で挑戦もできず踵を返すしかなかった。

今大会も最初は出場さえ難しくみえた。00年シドニー五輪以後、厳しいクォリファイングを経た15カ国(1国から4人)に限って出場権を与えることにしたため。

この種目で2回続いて五輪出場に失敗した韓国馬術は、アテネ大会に備えるため、01年4月、ドイツ・ミュレンに訓練キャンプを構えた。歳末に2回帰国しただけで、その他はドイツに滞在し、既婚の崔監督とファン・スンウォンは別居同然の状態にあった。他の選手も友達ひとりいない寂しい他国生活が続いた。

「一日中馬のことばかり考えた。会話の話題もいつも馬だった」。午前と午後に馬に乗り、夜は欧州の有名選手のビデオテープを見て研究を重ねた。シドニー五輪でサウジアラビアの銅メダルを率いたドイツの世界的なコーチ、ショケ・ミュラーを迎え、先進技術にも目覚めた。崔監督は、選手の指導はもちろん、月一回、3時間近く車を運転してデュッセルドルフまで行き、キムチや米、惣菜などを買ってきた。

韓国は、昨年6月にドイツのアヘンで行われた国際障害物競技で、出場した46カ国のうち日本に次いで団体戦2位の成績でオリンピック出場権を獲得した。当時、馬術強国の英国が出場権を逃し、非欧州圏では韓国以外に米国、日本、ニュージーランドだけが入っただけに「大事件」だった。

所属チームである三星(サムスン)電子馬術団の支援も大きな力になった。ドイツ遠征訓練に費やした資金は120億ウォン。

崔監督は「笑われるかもしれないが、馬術で9位は他の種目のメダルと等しい程度。次の北京大会ではメダルも狙いたい」と笑顔。



金鍾錫  kjs0123@donga.com