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「野球はポーカーに似ている」金在博監督が語る

「野球はポーカーに似ている」金在博監督が語る

Posted November. 02, 2004 23:34,   

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「真っ先に家内に会いたいです。家に半月も帰れなかったんです」

1日、韓国シリーズ優勝が確定した後、金在博(キム・ジェバク)監督(50)は妻のチョン・ボクヒ氏(48)のことが脳裏に浮かんだ。

しかし、試合が全部終わったこの日も、金監督は家に帰ることができなかった。優勝祝宴とコーチングスタッフとの会食のため、ホテルに世話にならなければならなかったためだ。2日、妻がつくってくれるお昼を食べるため急いで家に帰ろうとする金監督を、某ホテルのコーヒーショップで会った。

金監督はトップの座に上がるまで、強い勝負欲の原動力になったのは「挫折」だったと言いながら話を始めた。

「デクァン高校時代、2塁手だったが、ソウルにある大学と実業チームでは私を選んでくれるところがありませんでした。背が小さかったからです。当時163cmぐらいでした」

挫折はこの時が最初で最後だった。1973年、嶺南(ヨンナム)大創立チームに入って、「ソウルにある大学チームとの対決で必ず勝つ」と歯を食いしばり、1年後、全然違った選手に生まれ変わった。

嶺南大2年の時、秋リーグで首位打者に上がった彼は、その後、大学選抜と国家代表など順調なコースを走った。韓国化粧品で走った1977年、実業野球選手権大会では打撃、打点、本塁打、トリプル・クラウン賞、盗塁、新人、最優秀選手賞の空前絶後の7冠王に上がった。

金氏を語る時絶対に欠かせない「伝説」が、1981年世界選手権大会の日本戦での「バント」。1−2で負けていた8回、ぴょんと跳ね上がるバントで安打を打ち、同点を作った場面は未だに多くのファンの脳裏に生き生きと残っている。

「当時、スクイズ・サインが出たのではなく、私が奇襲バントをしようとしたんです。ところが、後でオ・ウホン監督が『サイン・ミスが出た』と言ったのです。たいへんがっかりしました」

金監督は1996年、現代ユニコーンズの指揮棒を取っていたとき、真っ先に現代の企業文化が脳裏に浮かんだと言う。

「1等企業だったんです。成績が出せなければ、長くは監督できないという気がしました。いくら優れた監督でも、負ければクビになるのがプロの論理だから、現代ではなおさらです」

1996年から9年間監督を勤めているから、この間、彼が良い成績を出したのは確かだ。韓国シリーズ4回優勝の現役最高勝率監督(0.573)をクビにするチームがあるわけない。

第9戦まで続いた今回の韓国シリーズは、金監督には一番大変な勝負だった。彼は、「6−6で引き分けた第7戦が最大のヤマ場だった。実は、8−8で引き分けた第2戦と第7戦は両方とも内心はあきらめていたが、選手たちが本当にふんばってくれた」と言った。

金氏は「雑技」にもたけている。それも並大抵の実力ではなく、最高の境地だ。ビリヤードは700点。幼い時、大邱(テグ)でお父さんが靴屋、お母さんがベーカリーをしていた2階建ての建物を、玉突き場として賃貸した後から、ビリヤードに接する機会が多くなった。

ゴルフはシングル・ハンディキャップで、ボーリングはアベレージが170〜180点。それだけでない。卓球も上手で、カードの実力には定評がある。

「賭け事をすれば負けるのがとても嫌いでした。それで、何をしても実力が早く伸びました」。カード・ゲームを楽しんだ彼は、「野球はポーカーに似ているようだ」と言った。

「他の種目と違って、毎回違うカードがくるんです。試合の流れがあって、要素ごとに決断を下さなければなりません。そして辛抱すればば良いカードが来ます。ノーヒットでも、チャンスは必ず来るようになっています。」

早く退いた他の監督たちと違って、自分に来たチャンスを逃さず、「大当り」につなげた金在博監督。今後、彼の手にはまたどんなカードが握られるのだろうか。



金相洙 ssoo@donga.com