「ミスター・ゼロ」の名声はいつまで続くのか。
林昌勇(イム・チャンヨン、32)が日本進出初年度に、ヤクルトの守護神になった。李承鎏(イ・スンヨプ=読売)の2軍降格にがっかりしている韓国ファンの日本プロ野球に対する関心が林昌勇によって盛り返している。
林昌勇は30日現在、9試合に登板し6セーブをあげ、9イニング無失点を続けている。地元マスコミが付けたニックネームは「ミスター・ゼロ」。
1995年デビューした林昌勇は昨年まで、韓国で通算104勝66敗168セーブを記録した。全天候投手で名を揚げたが、05年、肘の手術後は平凡な投手になった。06年は1勝にとどまり、昨年は5勝7敗。
開幕前の高田繁ヤクルト監督は、林昌勇を五十嵐亮太などと交互に抑えで出す計画だったが、状況は一変した。高田監督は最近、「期待よりずっとよく投げている」と林昌勇を褒め称えた。
好投に対する分析も様々だ。先月、あるマスコミは、最高時速156kmの剛速球の秘訣として、林昌勇がキャッチボールの時、150g前後の公式ボールより二倍以上重いボールを使うからだと伝えた。また、サイドアームスローからオーバースローまで変化に富む投球フォームが、日本の打者たちを困惑させているという。
韓国選手の大半は日本デビュー初年度に試練を経験した。「国宝」宣銅烈(ソン・ドンリョル)三星(サムスン)監督でさえ、1996年に中日で2軍と1軍を行き来しながら、5勝1敗3セーブに平均防御率5.50に止まった。1998年、李尚勲(イ・サンフン=当時中日)は1勝、平均防御率4.68、00年、鄭鏜哲(チョン・ミンチョル=当時読売)は2勝、平均防御率4.82、01年、鄭鏜台(チョン・ミンテ=当時読売)は2勝、平均防御率6.16で、名声を挙げることができなかった。
08年、「ミスター・ゼロ」林昌勇が、先輩たちの前例を破っている。
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