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[社説] 盧大統領の呆れた新聞観

Posted July. 09, 2004 22:25,   

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盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は、「首都移転反対論を大統領退陣運動と感じる」とし、「これを主導する機関は、ソウルのど真ん中、(政府)中央庁舍の前に巨大なビルを持つ新聞社ではないのか」と言った。大統領の発言は、相当な誤りを含んでいる。

東亜(トンア)日報などの多数の新聞社は、反対世論を主導したのではない。社説などを通じて、国家百年の大計である首都移転の拙速推進の問題点を指摘し、より慎重に論議して国民的合意を得なければならないと強調してきたのだ。

首都移転反対を大統領退陣運動と感じるという大統領の発言に対して、ほとんどすべての総合日刊紙が適切ではないと指摘した。これに先立ち、進歩的性向を持つ社会的著名人約130人も、首都移転の再考を求めた。中央庁舍の前に「巨大ビル」を持たない人々の主張は、どのように説明するのか。

今回の発言で、新聞に対する大統領の歪曲した見解が再び明らかになった。権力及び政府に対する監視と批判というマスコミの役割を、「ビルを持った新聞社が莫大な既得権と結びついて」起こしたことだと考えるなら、国の将来は暗い。これでは言論の自由も、思想の自由市場で世論を収れんすることも、消え去るしかない。

大統領府の定例会見は東亜日報と朝鮮(チョソン)日報を名指しして、「呪詛の儀式を取りやめよ」と言った。呆れた詭弁である。権力の監視と政策批判という新聞の本分が、大統領府には「呪詛の儀式」に映るのか。

一国の大統領が敵味方や不信、社会分裂を煽る姿を見せ続けることも情けない。もはや、新聞まで中央庁舍前の「巨大ビル」を持った新聞社とそうでない新聞社に分けるのだから、惨憺たる心情だ。このように偏狭な新聞観で、いかにして世論を重視する参加政府になることができるのだろうか。