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[社説] 大韓民国としてプライドを持とう

Posted December. 31, 2005 06:17,   

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新年を迎え、世界の中の大韓民国を考える。いま、大韓民国は、近代化と民主化を同時に成し遂げ、国内総生産が世界10位圏に入った経済の中強国だ。しかし、多くの国民が1日3食を食べられるようになったのは、わずか40年前からである。絶対貧困から脱するまで、産業化世代が流した血の汗を、心に留めておかなければならない。また、共産化の危機から救ってくれた同盟国、中でも特に米国がなかったら、今日の繁栄は想像できない。先輩の世代と国際社会に負った借金を忘却し、ごう慢になり、世界の大勢に逆らって、国内的混乱と対外的失敗を繰り返えせば、いつまた墜落するかもしれない。過去、国力が弱く、王朝指導層の誤りで日本に国を奪われ、その歴史の延長線で半島の腰が折れた。「同じ民族」だといくら叫んでも、周辺の諸大国が信頼し協力しなければ、統一は約束できない。

世界各国は、競争と協力の2つの車輪で未来に向かって走っている。繁栄と平和、経済と安保の実益のために、一方では無限の競争を繰り広げ、また一方では国家間の協力体制を多角的に発展させている。大韓民国が先進国に跳躍するのか、それとも、その入り口で座り込んでしまうのか、その答えは世界の中にある。国際的競争と協力の複雑な構造を読み取れず、世界の流れとかけ離れ、狭い国の中で権力と富のゼロ・サムゲームに没頭していては、希望がない。当代の退歩はもとより、後代に借金を残すことは罪を犯すことである。この3年間の停滞のために大韓民国は、もはや過去を食べて暮らすことのできない国になった。

政府と研究機関は、無理をしなくても達成できる韓国経済の成長能力(潜在成長率)を4.8〜5%と見ている。にもかかわらず、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権1年目に3.1%、2年目に4.6%、3年目に3.8%内外(推定)の成績で、潜在成長率達成に失敗した。高成長のライバル国との格差はさらに大きくなった。このような低成長の中でいくら分配を強調しても、庶民の暮らしは改善されない。両極化の拡大が、これを立証している。富裕層と大企業をたたくことで、庶民層や中産層、中小企業の「悔しさ」を一時的になだめることができるかもしれないが、言葉では、両極化は解消できない。多くの国民に、少数の大企業と富裕層を憎むように追い込めば、しばらくは政治的利得を得られるかもしれないが、経済のパイと分配の余地はさらに小さくなる。結局、国民的分裂と社会の葛藤の溝はさらに深まるだけだ。

主に、海外で大金を得る大企業は、渾身の努力で世界的競争力を創出した勝者である。大企業を、出資総額制限や投資業種・用途制限のような規制の鎖から解放しなければならない。そうすれば、先頭企業の国内投資が活発になるだろう。そして、海外投資に劣らず、国内投資の連鎖的活性化が期待できるだろう。投資だけでなく、国内消費の増加なくして成長向上と分配改善を図ることは難しい。富裕層を税金としっ視で締めつけるだけではなく、彼らが国内で高級消費できる環境づくりが必要だ。サービス産業の進入や営業に対する規制も大幅に緩和し、サービスの質が差別化・多様化されるようにすべきである。そうすれば、海外に流れる消費が減り、より多くの金が国内に流れ、雇用も増えるかもしれない。これが市場原理である。

にもかかわらず、政府と与党は、市場原理に忠実になるよう国民を説得するどころか、市場原理と金の生理を無理にねじ曲げようとする政策を濫発する。強者を攻撃して弱者の関心を買おうとする薄っぺらなポピュリズム(人気迎合主義)である。このような政策は、国家の競争力を落とし、結局、庶民層や中産層をより苦しめることになる。競争を当然のことと考え、自ら競争力を高めるために努力する国家と国民であってこそ、世界的な競争で勝つことができる。これを通じて、国全体の富を増やし、脆弱な階層に対しては支援と保護を強化しなければならない。ポピュリズム政治にだまされないだけでなく、断固として排撃するのが賢明な国民が選択する自救の道である。

教育のポピュリズムも拒否しなければならない。盧政権は、全国教職員労働組合と歩調を合わせ、平等教育を追求するが、これでは平等は実現しない。古い左派理念にとらわれて、いくら競争を罪悪視しても、教育に競争はなくならない。社会主義国家の中国は、韓国よりもずっと競争的に学力を高めている。それが、窮極的に国家と個人の未来を開く道だからだ。もし、多くの国民が全教組のように世界化を悪と考えて教師と学生の無競争を支持するなら、これは国力を萎えさせる近道となる。全教組の主張を信じる生徒や父兄が、最大の被害者になる可能性が高い。

大韓民国を「誤った恥ずべき国」として烙印を押し、国家アイデンティティを揺さぶる勢力に対しても、決然として対処しなければならない。多くの国民が彼らに洗脳され、祖国に対する自負心を捨てた場合、残るのは何だろうか。自国にプライドを持てない国民が、世界から待遇を受け、より良い未来を切り開くことができるだろうか。開発連帯の先輩世代は、「漢江(ハンガン)の奇跡」を成し遂げたにもかかわらず、反民主、反人権の過誤も少なからず犯した。しかし、それがいくら大きな過ちであったとしても、2300万の北朝鮮住民を飢えと奴隷のような暮らしに追い込む北朝鮮の支配集団の罪悪より、大きいとは言えない。国家アイデンティティをめぐる理念的・社会的断絶と分裂を今年は終わらせ、国基を立て直さなければならない。大韓民国を愛し、大韓民国に希望を見出そうとする国民なら、このために力を合わせなければならない。

盧武鉉政権は、分裂の政治で3年間を消耗した。もし4年目にも「敵意のリーダーシップ」を捨てなければ、国民は政権に背を向け、国家と個人の将来を自ら開拓するほかないだろう。無論、盧政権に対する期待を完全に捨てようとは思わない。この3年間、「政権の戦利品」を獲られるだけ獲た政権であるゆえ、もはや残った2年は、絶対多数の国民の要望に従うことを望む。結果が伴わない煽動的政治で、国民をこれ以上右往左往させてはいけない。世界の変化と挑戦を早く正しく読み取って、国民が効果的に対応できるビジョンと方策を提示し、未来に向けて国家総力を結集するリーダーシップを見せなければならない。時間は多くない。ハンナラ党を含む野党は、「代案の可能性」をビジョンと行動で立証することを期待する。

2006年は、大韓民国が20世紀型の理念の枠組みを破り、21世紀型先進パラダイムを可視化する一年にならなければならない。古い保守と守旧左派は、歴史の博物館に送るべきだ。本紙は、大韓民国の体制を揺さぶる勢力に最後まで対抗する。自由民主主義と市場経済を守る役割に忠実たろうとする。私たちは大韓民国を大切に思い、大韓民国で幸せを追求する国民の側に立って、メディアの役割を果たす。