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[社説]「殴られても我慢する警察」を作った責任者は誰だ

[社説]「殴られても我慢する警察」を作った責任者は誰だ

Posted April. 19, 2006 02:59,   

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警察が不法デモ隊に暴行されても、「暴力警察と言われるより、何回か殴られた方がまし」とし、最初からなかったことにしようとしていた事実が明らかになった。公権力の無力症は、実に深刻な水準だ。警察指揮部も事件を隠すことばかりに汲々したという。大韓民国の警察が、どうしてこのようなことになったのか。国の将来と国民の安全が危惧されてならない。

15日、慶尚南道昌原(キョンサンナムド・チャンウォン)で一部非正社員の組合員が解雇労働者の復職などを求めてデモを行い、それを阻止しようとする戦闘警察(戦警)2人に暴行し、それを制止した警官4人にも暴力を振るったという。そのうち一人は額を5,6針縫り、他の一人は肘の靭帯が伸びて、全治3週間の診断を受けた。

しかし、暴行された警官らは何事もなかったように正常勤務してきたという。家族には「道で転んだ」と言い訳し、彼らが所属している昌原中部警察ではもちろん、慶南警察庁でも「むしろ殴られてよかった」というふうにもみ消そうとしたとのこと。暴行加担者の写真撮影など採証までしておきながら、もみ消そうとしたとは、呆気にとらわれるしかない。

責任は政権にある。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は昨年11月の農民デモの時、鉄パイプと竹槍を振り回したデモ参加者に対して厳罰を主張した許准栄(ホ・ジュンヨン)前警察庁長を、野党民主労働党と運動圏の市民団体の解任要求を受け入れて中途辞職に追い込んだ。その一方で、「公権力の責任は重く扱わなければならない」と述べた。それゆえ、警察の内部でさえ「正当性が損なわれた公権力が犯罪の前で堂々としていられるのか」という自嘲の言葉が出ているのだ。許前庁長は「大統領府の運動圏出身者がデモ隊の肩を持つため、厳正な法の執行が難しい」と打ち明けた。

政権のコードにのみ合わせようとする警察の首脳部も問題だ。警察庁は今年1月、「匿名性が過剰鎮圧を生む」とし、戦闘・義務警察のデモ鎮圧服に個人の名札を付けさせようとしたものの、「戦闘・義務警察には人権もないのか」という家族の激しい抗議を受けて退いた。公権力の位相を自ら崩した自害行為だった。警察が不法行為に目を瞑ると、法治が崩れ、国が乱れる。今年2月就任後、「国民の信頼が警察の力」と強調してきた李宅淳(イ・テクスン)警察庁長が、「昌原事態」をどのように処理するか、見守ってみようではないか。