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[社説]「暴徒と化したデモ隊」にいつまで踏みつけられるのか

[社説]「暴徒と化したデモ隊」にいつまで踏みつけられるのか

Posted June. 28, 2008 08:34,   

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大統領府が見えるソウル都心の世宗路(セジョンロ)・太平路(テピョンロ)一帯が、毎晩、一部デモ隊の無法地帯と化して2ヵ月近く経った。「国民の健康権を守ろう」と言って、平和的なろうそく集会に参加した普通の市民は大きく減り、デモを主導する「輩」は暴徒と化している。彼らが、戦闘警察(日本の機動隊)と警察をあざ笑い、デモ遮断用の警察のバスをロープで引っ張って破壊することは、もはや事件にもならない。

26日夜、一部のデモ隊が、砂や砂利を入れたペットボトルやレンガを警察隊に投げつけ、鉄パイプを振り回した。警察隊に向かって、おもちゃの銃で金属玉を撃ち、約10人がけがをした。戦闘警察隊をつかみ、盾とヘルメットを奪って道路に倒し、集団リンチを加えた。ソウル警察庁第1機動隊1中隊所属の戦闘警察隊は26日未明、興奮したデモ隊に連れていかれ、「おまえは今、人民裁判を受けているんだ。黙ってじっとしてろ」と脅され、暴行を受けた。

デモ隊は、暴力デモを批判した新聞社と記者にも、無差別に暴行を加えた。レインコートとマスクで顔を覆ったデモ隊は、世宗路にある東亜(トンア)日報と朝鮮(チョソン)日報(および系列ホテル)の社屋に押し寄せ、出入り口のガラスの窓を石で割り、制止する戦闘警察隊とホテル職員に暴行をはたらき、建物の社名のロゴを引きはがした。

建物に汚物を投げつけるだけでは足りず、出入口にごみを捨て、小便をかけたりもした。彼らは、東亜日報の社屋前の掲示台から太極旗(テグクキ=韓国国旗)と社旗を引き下ろし、ごみ袋をつるして、拍手し、歓呼した。

一部デモ隊は、デモ現場を取材していた本社写真部のピョン・ヨンウク記者をつかまえて殴りつけ、記者が逃げると、またつかまえて「服を脱がせて殺せ」と叫び、踏みつけた。ピョン記者は失神し、病院に搬送された。25日夜には、朝鮮日報の記者がデモ隊につかまって、1時間暴行を受けた。紅衛兵の人民裁判と大差ない蛮行だ。

狂牛病(牛海綿状脳症=BSE)国民対策会議は、「政権退陣運動も辞さない」と公言した。デモの現場では、「非暴力を主張するなら、家に帰れ」という言葉が公然と聞こえる。ポータルサイト・ダウムの討論ルームには、「まだ、闘いは終わっていない。生半可な非暴力の論理でお茶を濁ごすのではなく、決定的な瞬間に公権力を完全に無力化しなければならない」といった主張も溢れている。

政府は、暴徒化したデモ隊に対しても、ただ見ているだけなのか。狂牛病対策会議と暴力デモの主導者に対しては、逮捕状の発行を受け、必ず検挙し、司法処理しなければならない。のんきに出席要求書を送っている時ではない。暴力デモには反対すると言いながら、結果的に暴力デモの付添い役になっている市民たちも、これからは自分がどの部類の人と一緒に行動しているのか冷静に振り返り、彼らと決別しなければならない。