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[オピニオン]外交も太極戦士のように

Posted June. 28, 2002 22:18,   

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19世紀末、壬午軍乱に乗じて朝鮮に入城した清の袁世凱はごう慢な人物だった。清国の公使に過ぎなかったが、実際は朝鮮王室の監視者の役割を果たした袁世凱は、この地で空を突き刺さんばかりの権勢を振るった。

26歳という若さの袁世凱は、高宗に会いに宮中に入る時も籠から降りず、皇帝の前でも起立することはなかった(ユン・ドクハン著、李完用評伝)。むしろ許可しなかったことをしたと、高宗を怒鳴りつけ、食膳を足で蹴ったというから、今考えても彼の無礼には怒りを覚える。韓国と中国の関係を歴史的に象徴する事例だ。

世界サッカーが4強に入り「国家ブランド」を高めたこのお祭りムードの時に、強いて辛い過去を持ち出すのは、ワールドカップ(W杯)に酔っていた韓国に対して、中国が行った無礼のためだ。W杯に関係して言えば、ヨーロッパの幾つかの国が判定問題で韓国を非難した時、中国はアジアの国の中で、韓国チームが審判のおかげで勝ち進んだかのように非難した唯一の国だ。共同開催国の日本の世論が、アジアのプライドをもって決勝まで進むことを望み、韓国チームに「がんばって」と叫ぶ時、1勝もできずに帰った中国では、国営マスコミが率先して韓国の勝利を疑問視した。

このことは、中国警備員が韓国外交官と特派員にけがを負わせ、韓国公館に立ち入って北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)からの脱出住民を連行する事件に比べれば、我慢ができる。果たして中国が、米国や英国に対しても全く同じ行動をしただろうかという点で、韓国がこのような待遇を受けたことに侮べつを感じる。この事件と関連して李濱(リビン)駐韓中国大使が取った一連の行動も、国民に清時代の袁世凱を連想させるに十分なほどごう慢であったと評された。

中国政府は、北京にオリンピックを誘致して、外国のマスコミに対して無制限の取材の自由を保障すると約束した。その中国が、外交官暴行シーンを撮った画面の衛星送出を妨げたことは、このような国でオリンピック競技が開かれる時、自分に不利な競技の中継放送を制限する可能性を物語る。特派員に対する暴行は、オリンピック取材記者らがこの国の好ましくないところを取材する時、中国警察の脅威から身の安全が保障されるかを疑わせるが、外国公館も安全ではないということが今回の事件で確認されたため、心配はより大きくなる。

従って、中国の今日のような態度が大きく変化しなければ、恐らく中国はオリンピック史上、取材記者や選手、そして観客が(身の脅威のため)最もスリルあふれる競技を経験する国になるかもしれない。このような状態なら、モスクワとロサンゼルスオリンピックについで北京オリンピックも成功裡に行われるかは心もとない。

話のついでに言うが、古朝鮮時代以降、韓国が中国から屈辱と苦痛を受けた期間は、日帝の植民支配36年とは比較にならないほど長かった。6・25戦争(朝鮮戦争)の時、中国の参戦でどれほど多くの犠牲を出したかは記憶に新しい。しかし韓国は、未来に向けて辛い過去を忘れようとした。にもかかわらず、彼らは韓国の寛容を今侮辱で返している。

このような中国よりもより嫌悪すべきは、韓国の外交通商部の態度だ。主権が侵害され自国の外交官とジャーナリストらがけがを負わされたにもかかわらず、外交通商部は一言の謝罪も求めなかった。台湾を見下し、日本に「くせを直させる」と言ったその勢いはどこへ行ってしまったのか。結局「遺憾」という言葉だけで解決してしまった。中国に対して、国民の知らない何か弱みを握られてるというのだろうか。

「遺憾」という言葉を含め外交的レトリックは、しばしば国民をうんざりさせる。「遺憾」とは一体なにか。国民感情と関係なく、シャンペンを交わして優雅な笑みとうわべだけの飾りで「遺憾」と合意する時、外交官の立場は維持されるかもしれないが、国民は徹底的にあざむかれた感じを抱く。そんなことをさせるために、国民が血税を捧げて豪華住宅を海外官舎に提供し、豪華なパーティー費用を払っているのではない。

チェ・ソンホン長官をはじめとするこの時代の外交官たち、なかでも中国関連の外交官たちに、袁世凱に頭を下げた19世紀末の朝鮮王国の外交官吏らが、今日歴史的にどのような評価を受けているのかよく勉強してもらいたい。国家の名誉を高めたW杯の太極戦士(韓国サッカー代表チーム)の使命感と気概を外交官たちが半分でも持っていたならば、このような侮辱的なことが続くことはないだろう。

李圭敏(イ・ギュミン)論説委員室長