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[オピニオン]俗語

Posted June. 03, 2003 22:12,   

한국어

ハングル学会が編纂した「ウリマル(韓国語)大辞典」には、俗語を「俗っぽい言葉」または「野卑な言葉(卑語)」と説いている。卑語との境界が曖昧なため、合わせて卑俗語とも呼んでいる。俗語は、格式や礼儀を正すべき公の場、あるいは上品で慎重な文章では使われない。新鮮で小味のきいた言葉ではあるが、軽薄だったり教養のない言葉だという印象を与えるからだ。ところが、俗語といっても、同じ社会集団に属する人間同士が使えば、親しみと同質感を強められるということから、常に下品だと考える必要はない。文学作品や映画の中で俗語を多く使うのは、無色無臭な普通語では、複雑極まりない人間の感情を表現するのに限界があるからである。

◆話し手の態度や心理状態を赤裸々に表す卑俗語は、言語の表現を極大化する効果がある。韓国初の国語卑俗語辞典を編纂した金東彦(キム・ドンオン)江南大学教授は、「卑俗語が人間の心性を露出させることで言葉の疎通を早く、容易に、人間的にできるようにしている」と説明した。卑俗語は、抑圧された感情を排出する効果もある。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は、街中の俗語を公の場に取り入れた最初の大統領、という記録を持つことになりそうだ。俗語の使用が、庶民的なイメージにも似合うと考えているようだ。盧大統領は、就任100日目の記者会見で、歴代の大統領が「威張っている」存在であったために、脱権威主義を追求する過程でそうなってしまったと釈明した。

◆人権弁護士として、労働者たちと話す時には「集会の参加者は何人か」と聞くより「(俗っぽく)締めて何人だ」と言った方が、親しみを持たせるうえで効果があったはずだ。ところがそうした表現は、一国の元帥の格にふさわしくない。盧大統領は先月末、公館長夫妻を招いた席上で「外国から見て、韓国が『でたらめ』だと思われても、真の民主主義を実施したいのが私の希望です」と語った。「でたらめ」のような俗語は、小説のなかで生彩を生かす表現には成り得るだろうけれど、大統領が大使夫妻の前で話す言葉としては、似つかわしくない。

◆盧大統領は「かつて、大統領の話が適切でなければ、適切に手を加えて抜かすのがマスコミの慣行だったが、盧武鉉のそれは、漏れなく穿り返して笑い話のネタにした」と話した。大統領の釈明には、いくつかの誤謬がある。かつて権威主義時代の大統領は、権威を守るためにも公の場で卑俗語を使わなかった。「威張っていた」大統領たちの権威を尊敬するという意味ではない。しかし、手荒い表現を使った話者が「マスコミが手を加えない」と問い詰めるのは、顔にソバカスを持つ乙女が、鏡のせいにするようなものだ。



hthwang@donga.com