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「ボールを蹴る文化は古くからあった」韓国のW杯4強入りとの関係

「ボールを蹴る文化は古くからあった」韓国のW杯4強入りとの関係

Posted July. 04, 2002 22:33,   

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韓国サッカーがW杯4強入りした力は、2000年近く「ボールを蹴る文化」を受け継いできた歴史的な伝統によるものだという主張が出ている。

韓国体育大教養学部のシン・スング教授は「伝統と現代」の夏季号に載せた論文「韓国蹴鞠の歴史と特性」で、足でボールを蹴る遊びの代表的な用語である「蹴鞠」が三国時代から使われていたと主張した。

サッカーに関するもっとも古い国内記録としては、三国史記と三国遺事に記されている「新羅29代太宗武烈王(在位654〜661)が王位に就く前に、金庾信(キム・ユシン)将軍とともに蹴鞠をした」という記述が挙げられる。しかし、シム教授は金大問(キム・デムン)の花朗世記で100年以上の前の記録を見つけた。

「新羅23代王の法興王(在位514〜540年)が姉のボヒョン姫の息子、ヨンシルゴンと宮殿の表庭で蹴鞠をしたという記述が出ている。宮殿でボール遊びを楽しんでいたことから、チェギ(紙や布で包んだ銅銭などを地上に落とさないよう蹴り上げる遊び)の形をした蹴鞠である可能性が高い」

宋の後漢書の高句麗伝には「人々が蹴鞠に長けていた」という記録が残っている。新羅の場合は、王室や貴族が楽しむチェギをしていたが、高句麗は軍事訓練の一環として、穴にボールを入れることをしていただろうとシム教授は話している。

統一新羅や潑海時代には蹴鞠の代わりに、騎兵が戦術を磨く手段として馬に乗ってボールを蹴る撃毬が登場する。

高麗時代にはチェギの形をした蹴鞠が再び復活する。高麗中期の文人兼学者だった李奎報(イ・ギュボ、1168〜1241)は、「東国李相国集」で人生のむなしさをボールにたとえて、「空気が詰まってボールになった時は、人に蹴られて空まで上がったが/空気がなくなると、人間もばらばらとなり、一つの空いた袋だけが残っている」と詠んだ。

朝鮮中期に領議政を務めた李恒福(イ・ファンボク、1556〜1618)の「白砂集」には、彼が子どもの時、シルム(朝鮮相撲)と蹴鞠に夢中になり、母親に叱られたという部分が出てくる。

これは蹴鞠が三国時代、高麗を経て、朝鮮時代に国民的な遊び文化として発展したことを示している。

シム教授は「19世紀末、西洋の近代式サッカーが導入されたことを機に、ボールを利用したチェギの形は次第に姿を消し、銅銭チェギだけが残ったが、わらを利用した「わらボール蹴り」、動物の膀胱に空気を吹き込んで蹴る「膀胱蹴り」もあった。最近、大学で流行っている「紙コップ蹴り」も、このようなボールを蹴る文化の影響を受けたようだ」と述べている。



beetlez@donga.com