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小説『雪国』の舞台、 湯沢町

Posted February. 25, 2004 01:27,   

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「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」

川端康成(1899〜1972)の小説で、ノーベル文学賞を受賞した『雪国』の有名な書き出しだ。人間内面の純粋な気持ちを、愛を通して透明に描いたと評価されるこの小説。最初のページ読むだけでも、「雪国」や「夜の底が白くなった」などの表現の中から登場する「白い雪」を通じて、純粋な人間の心を描き出そうとした作者の気持ちが伝わってくる。

その小説の舞台であり、執筆地でもある湯沢温泉村(新潟県南魚沼郡湯沢町)にたどり着いたのは、先週末の夜だった。

●小説を書いた70年前の旅館、執筆室はそのまま保存

しかし、私の雪国への旅行は小説とは大きく異なっていた。バスで行ったため、「国境の長いトンネル」(羽越線鉄道の清水トンネル、9.7キロ)を汽車で通過し、雪国に入る幻想的な体験もできなかったうえ、午後には最高17度まで上昇した異常気象の影響で「夜の底が白くなった」のも経験できなかった。

しかし、良かったのは小説が書かれた旅館「高半」が70年経った今でも昔の姿を維持していたうえ、異常気象にもかかわらず、周辺の山と野原が雪一面の雪国をなしていたことだった。もちろん、昔の木造旅館は、客室47室で235人を受け入れることのできるコンクリートの洋館ホテルに変わっていた。また、原稿を書いていた畳の客室は、ホテル1階の記念館に「剥製」のようによく展示されていた。

●白黒映画『雪国』、観光客のために上映

午前7時、一晩中閉められていた記念館がオープンする時間だ。朝、温泉に入った宿泊客らが浴衣姿でそのまま記念館に入る。

入口の休憩室ではDVDの白黒映画『雪国』をビームプロジェクトで上映していた。20坪程度の展示場。写真など遺品が展示されている。旧木造旅館の一部と共に保存されている執筆室は、昔と同じ位置にあるという。そして執筆室の窓をガラスにして、執筆当時のように、部屋の中から外側の風景ががよく見えるようにしてあった。

丘の上にあるこのホテル。階段を上がった入口に掛けられている「雪国の宿・高半」という木の看板だけが、ノーベル文学賞受賞作が誕生した所であることを教えてくれている。

●温泉近くのスキー場、観光名所に

そのおかげで執筆室に座れば、鉄道や丘陵の村が見下ろせる。作家の代わりにストーリーを進めていく小説の主人公・島村が立っていた位置もここだろう。

旅館に泊まって作品を書くことを好んだ川端康成。彼を湯沢温泉に導いたのは「雪」だった。雪が多い羽越地方の中でも、新潟の湯沢は東京から汽車で繋がる深い渓谷の中の温泉村だ。小説冒頭の表現にもあったように湯沢温泉は、「国境の長いトンネル」(群馬と新潟の境界となる山岳を通過)を通じて東京と繋がる当時の上越線鉄道の終着点であり、雪国の首都でもあった。

小説『雪国』。脱稿されて半世紀が経ち、全てが昔の話になってしまった。しかし、その『雪国』だけは、この渓谷で今も輝いている。それは、湯沢温泉村の渓谷周辺の山に有名なスキー場ができたからだ。標高1000〜2000メートルの険しい山岳の渓谷にある湯沢町。その深い渓谷はアルペンスキーの故郷であるオーストリアアルプスのアールベルク渓谷と似ている。

スキーで有名な海外の山岳町と同様に、渓谷を通過する鉄道と道路に沿って自然と発生した湯沢の山岳町。ここが日本スキーの発祥の地だ。この地域のスキー場の名声は東京から新幹線(1時間所要)が運行されている事実だけでも証明できる。



summer@donga.com