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鬱陵島の文化、分かれば分かるほど「独島は韓国の領土」

鬱陵島の文化、分かれば分かるほど「独島は韓国の領土」

Posted November. 19, 2010 07:06,   

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「東海は古代から我々の祖先が、活発な海上活動を行った海です。鬱陵島(ウルルンド)と独島(ドクド、日本名・竹島)は戦略的な要衝地として、常にその中心にありました」

韓国文化院連合会の主催で17日、慶尚北道鬱陵郡(キョンサンブクド・ウルルングン)のデアリゾートで行われた独島学術セミナーの現場。東国(ドングク)大学教養教育院のユン・ミョンチョル歴史学科教授は、主題発表の「鬱陵島・独島の歴史的環境と意味」で「独島の領有権問題について話す時、鬱陵島に人が住んでいなかったが、朝鮮末期に開拓されたと見る空島の考え方は間違えている」と説明した。「鬱陵島が韓民族の歴史で、一定の役割を担ってきた空間であった事が立証され、認識されれば、問題は変わってきます。つまり、鬱陵島の生活共同体である独島に対して、提起される複雑な問題を取り上げる余地が無くなります」

ユン教授はこれを裏付ける様々な歴史的事実を取り上げた。512年6月、新羅(シンラ)の異斯夫(イサブ)が、今の鬱陵島である于山国を征伐した。鬱陵島は高麗(コリョ)とも深い関係を結んだ。930年、鬱陵島では白吉(ペクギル)、土頭(トドゥ)の2人を使節に送り、供え物を贈った。1141年には溟洲道(ミョンジュド、今の江陵)監倉使の李陽実(イ・ヤンシル)が、王に鬱陵島の果実と木の葉を贈った記録がある。ユン教授は、「動力船が発明される以前も、海をイカダで100キロ以上を航海するのが十分可能だった」とし、鬱陵島はどの時代にも韓半島と活発な交流を行っていたと話した。

今回のセミナーは、独島問題を、政治や外交、または軍事的な観点でのみ論ずることから脱し、日常の暮らしぶりに焦点を合わせた郷土史的な観点で解釈し、整理しようという場だった。郷土史的な研究は、マクロ的な談論を補完し、「独島は韓国の領土」という事実を立証する上でも役立つ。セミナーを主催した韓国文化院連合会は、全国に227の地方文化院を会員として持っており、今回のセミナーには、57の文化院の院長や事務局長ら90人あまりが参加した。独島に関する問題意識を共有し、地方文化、芸術普及の産室である文化院を通じ、これを全国的に知らせるのが、今回のセミナーの目標だ。

大田(テジョン)保健大学のソク・デグォン教養科教授は、主題発表の「独島・鬱陵島の人々の暮らしぶりと文化」を通じ、鬱陵島を民俗学的な観点で分析した。ソク教授によると、鬱陵島の漁民が持っていた船路、風、海洋生態系に対する認知体系を調べることにより、独島に対する生態民俗学的なキーワードにすることができる。昔の漁民は、独島へ行くために、北斗七星や三台星などを利用した天体航海術、地形地物を活用した方法、カモメが飛ぶ姿を見て、島に近付いたかどうかを確認する方法を使った。独島の付近で吹く風を「トンセ(東風)」「ワクセ(東南風)」「デンガル(南西風)」「ガルバラム(南風)」「ブクセ(北風)」などと細分し、夏にガルバラムが吹けば魚が取れないと言った。

ソク教授は、「鬱陵島民の独島と鬱陵島についての文化的認知に関する研究は『日本にはなく、我々にはあること』を探す作業」とし、「独島に対する鬱陵島民の古い文化的認知こそ『独島は我々の領土』であることを証明する」と話した。

この他、高麗(コリョ)大学のミン・ギョンヒョン博物官長が「独島の昨日と今日」を主題に基調講演を行い、イ・スンジン独島博物官長、カン・ジンガプ歴史文化コンテンツ研究所長、イ・ギマン社団法人歴史作り代表が討論者を務めた。

16日午後は、参加者が独島で、島の安寧を祈る太平祭を行った。祭祀が行われる間、京畿道無形文化財保有者のイム・ジョンジャ名唱と京畿ソリ保存会員による、韓国伝統の歌やハンムェ国楽芸術団のサルプリ舞、珍島(チンド)太鼓踊りが披露された。写真作家のキム・ジュンマンさんは独島を写真に収めた。キムさんと韓国文化院連合会は独島関連写真展を構想している。

チェ・ジョンス韓国文化院連合会長は「太平祭りを行い、芸術団や写真作家らを参加させることによって、独島学術セミナーを見どころ満載の文化イベントに作りあげた。全国の文化院長らが目にし、耳にした独島関連の文化コンテンツが、広く拡散することを望む」と話した。



bluedot@donga.com