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60年代「派独」鉱山労働者たの望郷の悲哀 MBCドキュメンタリー

60年代「派独」鉱山労働者たの望郷の悲哀 MBCドキュメンタリー

Posted June. 09, 2004 22:58,   

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「私たちは、ただ合格したという事実だけで、浮き足立っていた」。

1963年12月21日、金浦(キンポ)空港出国の控え室。ここは、15倍の競争倍率をくぐり抜けてドイツ鉱夫の募集に合格し、デュッセルドルフ行きの飛行機を待つ「派独(ドイツ派遣)」の鉱山労働者第1陣247人の期待感で一杯だった。

しかし、彼らが現地で直面したのは、40℃を超える地熱と鋭い刃のついた機械が置かれた地下1000mの採掘場。鉱夫たちは、地下に降りるエレベーターに乗りながら「グルリック・アウプ」と挨拶を交わした。英語では「ロック・アップ(Luck Up)」、「生きて地上で会おう」という意味だった。

MBC放送は、11日から3日間、特集ドキュメンタリー「ドイツに行った鉱夫、看護婦たち」3部作を放送する。05年の韓独国交120周年を迎えて企画した番組だ。

11日に放送される第1部(夜11:15)では、ドイツの各地で生活している鉱夫と看護婦たちが、40年前に青春を送った採掘場と病院生活を振り返る。第2部(12日夜11:30)は、彼らが「機会の地」ドイツで、鉱夫と看護婦の経歴を基盤にして、歌手、医者、教授などの夢をつかんだ成功ストーリーを、第3部(13日夜11:30)は、3年の契約が終わっても故国に帰らなかった人々の事情を取り上げる。

現在ドイツの韓国僑民の数は約3万人で、このうち約1万2000人が元鉱夫や看護婦だ。「派独」鉱夫と看護婦の70%は結婚し、30%はドイツ人と結婚した。

60年代に「派独」鉱夫と看護婦たちが稼いだ外貨は、韓国経済発展の基盤になった。当時韓国政府は、鉱夫派遣と彼らの3年分の月給を担保に、3500万ドルの借款をドイツから取りつけた。67年の輸出総額の36%が、鉱夫たちが稼いだ金でもあった。

プロデューサーのチェ・ウチョル氏は、「60年代の経済発展の影には、『派独』と看護婦たちの犠牲があったことを伝えたかった」と話した。



李珍暎 ecolee@donga.com