Go to contents

目・鼻・耳・足…体の文化史

Posted July. 15, 2006 06:22,   

한국어

昔の女性にとって高く重ね上げた髪は魅力の象徴だった。唐の女性は髪を30cm以上も結い上げており、髪の毛が少なければ、黒く塗った木や針金でカツラを作って頭にかぶった。18世紀の西洋でも状況は同じで、イギリスの女性カツラの中には高さ120cmのものもあったという。

一方、髪の毛は自由の象徴、文化の表象だ。中原に侵入してきた満州人が「剃髪令」を出すと中国人は「皇帝と国のために戦っていた時より、もっと勇敢に髪の毛を守るために」命をかけて立ち向かったそうだ。髪の毛ゆえに場合によっては人間は死も辞さない。人類だけがこのように「高貴で荒唐無稽な行動」ができるのだ。

中国人作家の著者は、「人間とは何か」を問う代わりに、頭・眉毛・目・鼻・体臭・耳・舌・血・首・肩・胸・腰・腹・膝・足など身体各部位のミクロ史を通じて、人間とは何かを探る。

これまで、身体の文化史を扱った書籍は主に西洋が中心だった、この本は中国の故事からフランス文学、唐の漢詩からアメリカのアカデミー賞まで縦横無尽に駆けめぐり、東洋と西洋の体の歴史を集めている。

雑学事典のような面白さと文学的な面を兼ね備えているのが特長だ。顔、胸のように注目されているところだけでなく、眼差し、膝、舌のように注目を引いていなかったところやその特徴までも網羅しているほど雑学的知識の幅が広い。

著者は、人類の最も古い武器である視線が人を殺せるほどの力を持っていると紹介している。古代中国の美男・衛凱の場合、どこへ行っても彼を見ようとする人ごみでごった返していた。もともと体が弱かった彼がなくなると、ちまたでは「人々の眼差しが衛凱を殺した」という噂が立ったという。

激しいにらみ合いの末、虎に勝った秦の人の物語、セルビアの故事に出てくる眼光の鋭い巨人の物語など雑学を繰り広げる著者は、中国現代史の痛い傷跡も眼差しで説明している。

文化革命当時、自我批判大会の壇上に上がり批判の矢面に立たされた人たちは、険しい視線や非難に耐えなければならなかった。著名な文人・老舎(ろうしゃ)は、批判闘争大会から帰った後、湖に身を投げた。人々に険悪な表情でにらみつけられて、生命の力が抜けてしまい、死に至る勇気しか残っていなかったというのが著者の解釈だ。

著者は、この本が「果て知れない存在の人間に捧げるロマンス」だとし「人文学的研究論文や報告書でない『文学』として書いた」と話している。

身体の各部位についての描写を読んでいると、著者の言葉に共感する。著者は腹を「肉体の最も深い闇、すなわち、飢えや貧困、失敗がたたずんでいる空間」ととらえ、背中を「どこにも防衛のための戦略的要地が見当たらない、広い平原のようなところ」と説いている。

原題「私たちは肌の中に住んでいる」(2002年)



susanna@donga.com