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培材大学の教授が「抄録御用人日記」を編訳

培材大学の教授が「抄録御用人日記」を編訳

Posted March. 17, 2010 08:29,   

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「独島(トクド、日本名・竹島)に関連した日本の古文書を、私たちが直接研究する必要があります。さもなければ、日本が自分たちに有利な部分だけを引用しても、反論できないのではありませんか」

培材(ペジェ)大学のクォン・ジョン教授(比較文学)が最近、17、18世紀の日本の漢字文で記録された鳥取藩の「抄録御用人日記」を編訳した。当時の漢字の音と訓を利用した表記方式が現在の日本語と違うため、専門的な知識がなければ解釈できない。

「御用人日記」は、1670〜1779年の約110年間、鳥取藩と江戸幕府との間でやり取りされた文書を鳥取藩の御用人(秘書官)が整理した記録だ。抄録御用人日記は、この中で鳥取県立博物館が、鬱陵島(ウルルンド)と独島に関連する部分を別途要約したものだ。この日記には、安龍福(アン・ヨンポク)が1693年に日本に拉致された事件や、1696年にその事件の責任を問うために日本に渡った17日間の記録も含まれている。

御用人日記は、独島の領有権をめぐる日韓間の論争の時にしばしば引用される文献だが、これまで韓国側では、日本人が現代日本語に翻訳したものを参照してきた。

クォン教授は、単なる翻訳にとどまらず、本の解説で、別の日本の古文献に出ている内容や学界が研究すべき事案を指摘している。例えば、安龍福一行は日本に拉致されたが、帰る時は武士の護衛を受けるほど待遇を受けており、まだこれに関する研究が不十分だと強調している。

クォン教授は、独島の歴史的な領有権論争の時、粛宗(スクチョン)実録にある安龍福に関する記録をもっと豊かに研究しようと、日本の古文書を直接翻訳することになった。クォン教授は、「1693年の自国の漁夫が安龍福一行を拉致した事件を調査した江戸幕府と鳥取藩の官僚らは、いずれも鬱陵島と独島を自国の領土と認知していなかった。にもかかわらず、鳥取藩が安龍福の処罰を幕府に建議する非常識な態度を取った」と指摘した。

さらに、今後も独島関連の日本古文書を翻訳する予定だ。クォン教授は、「当時、安龍福の送還業務を担当した対馬藩の記録物をまとめた『竹島紀事』を翻訳している。文学専攻者の翻訳物が、歴史学者の厳密な学術研究に少しでも役立ってほしい」と話した。



jameshuh@donga.com