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[しどろもどろ] ボッコッと桜

Posted April. 18, 2001 17:16,   

한국어

「桜が咲き/桜が散る/雪のように降り積もる」。桜が咲き乱れる中、ハン・ハウン詩人の詩を思い出す。

「見事な桜の下で胸一杯に深呼吸すればめまいすら覚える。桜は頭をクラクラさせる。それは渇きのようにやって来る。雲のような、陽炎のような桜は、我々の命から春と青春を蒸発させるような魔力を持っている」(ソン・ソンヒ)。

春の日差しを一杯に浴びた山野、そこに咲く一連の連翹(ぎょう)、赤いツツジ、そして白い桜。春は花と共に夏への支度をする。しかし桜にだけは唯一違った思いが胸を過ぎる。「山は山、花は花」の如く。ボッコッ(韓国語で桜)といえば桜を、桜といえば日本を思い出すからだ。日本人はこの花をこよなく愛している。一瞬の間に春を染めたかと思ったら、ハラハラと散ってしまう桜。日本人はこの花を武士魂のような花だと褒め称える。

太平洋戦争の時、米軍の艦艇に向かって打ち放たれた人間爆弾(ロケット推進機)の名が「桜の花」だった。この恐るべき武器の実物が今でも靖国神社に展示されている。靖国神社は桜を背景にして画帳を作って販売している。ここは太平洋戦争の戦没者の位牌が祭られている場所であり、韓国や中国、アメリカの目で見れば、戦犯追慕場のような所だ。桜は神社の中に咲いている国花「菊」よりも人気のある日本の花として咲いている。ボッコッではない「サクラ」は、だからゾッとするような血の気のよだつ花なのだ。

日本語の辞書を見ると、「桜」には花とは違うもうひとつの意味を持つ「サクラ」が登場する。これは「露店商と組んで客に買う気を起こさせる手先」また、「聴衆のふりをして拍手をしたり声をかけたりして場を盛り上げる者」の意もある。韓国の野党史に登場するサクラ論の根幹をなすものだ。これもやはり明るいイメージとはいえない。このような幾つかの理由により、桜にまつわる思いは目茶苦茶に歪んでいく。今日に至っても、日本の中学で使用されている歴史教科書の歪曲は正されないままだ。靖国神社では桜の合間をぬって参拝客が列を成し、総理候補は自分への一票のために靖国に参拝する。桜が持つ血の気のよだつ攻撃性を帯びたイメージが我々を憂うつにする。我々は桜の花をただ美しい花として楽しみ、日本を親愛なる隣国として胸にとどめたい。



金忠植(キム・チュンシク)記者 seescheme@donga.com