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[オピニオン]「土で創りあげる」正しい歴史

[オピニオン]「土で創りあげる」正しい歴史

Posted August. 06, 2001 09:48,   

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「土で創りあげる未来」をテーマに、世界陶磁器エキスポが8月10日から10月28日まで京畿道利川(キョンギド・イチョン)および麗州(ヨジュ)、広州(クァンジュ)で開催される。

今エキスポは、国内外から延べ500万人以上の陶器愛好家たちの参加が見込まれる陶磁器のビッグイベントで、久々に陶芸大国としての韓国を内外に披露することになる。

早くから、大勢の日本人がこの陶磁器祭りに関心を寄せているという噂が聞こえていることからも分かるように、おそらく海外からの観覧客のうち日本人が圧倒的に多いものとみられる。

この陶磁器祭りがどのように展開されるか定かではないが、少なくとも日本人はこの祭りを通じて、日本の陶芸のルーツを直に確認できるよい契機になるものと期待が持たれている。

日本の陶芸の三つの流れを語る際、決まって挙げられるものとして薩摩陶芸と唐津陶芸、そして有田陶芸がある。

この三つの陶芸様式は、互いに明らかに区分できるほどそれぞれ異なった伝統として受け継がれている。ところが、それは何れも朝鮮の陶工らによって築かれたものであるという共通点を持っている。

400年という歳月を経ていながら、日本の陶芸の三つの伝統が朝鮮の陶工らによって築かれているという事実だけは、日本人も否めないのである。否めないばかりでなく、薩摩陶芸の沈寿官(シン・スグァン)氏や有田陶芸の李参平(イ・サムピョン)氏のような陶芸家を、誇らしげに全面に立たせることまでしている。

日本人が大陶郷と呼んでいる有田に行けば、彼らが朝鮮の陶工李参平を如何に神格化しているかが一目で分かる。

有田市内を見下ろせる所に設けられている、山を丸ごと削って建てた陶祖李参平の巨大な碑から、彼が初めて白磁(ぺクジャ)の鉱を発見したとされる泉山に至るまで、この朝鮮の陶工の縁の地を全て聖域化しているのである。

少なくとも、李参平が朝鮮の陶工であるという事実を隠そうとした痕跡は見当たらない。考えようによっては、日本に連れて行かれずに朝鮮に居残っていれば、単なる無名の陶工として埋もれていたはずの彼の名が、日本に連れて行かれたが故にその名を馳せることができたとも言える。

ともあれ、この聖域化のもとで人口6万人余りの山奥の小都市有田だけでも、陶器関連の店がなんと700軒余りも密集しているのだ。その中には先祖の代から15代目、16代目と、代々家業として伝統を受け継いでいる老舗が数あまたといた。

我々が幼い頃、嫁いで行く姉が嫁入り道具として持参していた、あの有名な香蘭社陶磁器会社もその一つ。要するに李参平と朝鮮の陶工らによって、有田は世界的な陶器の里になったのである。

有田の香蘭社陶磁器は、李参平の名を背負って我々の姉たちの嫁入り道具としてだけでなく、ヨーロッパの王室にまで売られ始め、世界市場において中国の景徳鎮陶磁器顔負けの人気を誇った。当の沈寿官や李参平を生んだ陶祖の国韓国では、手を引いている間の出来事なのだ。

今日、韓国のキムチを受入れ「キムチ」のブランドで世界市場に売出しているのと同様、彼らは早くから朝鮮の陶磁器の優秀さと美しさを見抜き、その伝統を受入れて薩摩焼、有田焼として世界的な商品を創り出したのである。

もちろん、有田焼であれキムチであれ日本人が我々のものを受入れ世界的な商品を創ったからといって、それ自体にけちをつける訳にはいかない。

それらが韓国から来たものであるという歴史的な事実を歪めたり否定しないうちは、少なくともそうだ。

間もなく開催される韓国の陶磁器祭りを通じて、日本人は日本の陶磁歴史の昨日と今日を目にすることになる。そして日本の陶磁器が韓国のそれの影響を受けたという歴史的事実を否定することなく受入れることになるだろう。

このように、事実に基づいたバランスの取れた態度が、両国の歴史を見つめる日本人の一般的な見方として定着していくことを期待したい。

キム・ビョンジョン(ソウル大学教授・画家・本紙客員論説委員)