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[オピニオン]基礎学問なくして国の成長は望めない

[オピニオン]基礎学問なくして国の成長は望めない

Posted March. 01, 2002 10:15,   

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1980年代の初め、米国のテレビニュースの時間には、ほとんど毎日のようにスト関連ニュースで埋まっていた。そして当時、米国の学界では、日本経済の高度成長の原因について盛んに研究が行なわれていた。その代表なものとして、日本企業の徒弟制度、終身雇用制度、日本社会のサムライ精神などが挙げられており、これらについて数多くの研究が行なわれている。

ところが今の日本はどうだろうか。恒例のようになっていたストに悩んでいた米国は、再び世界の経済大国に躍り出た反面、日本は90年代以来続いている景気低迷から、依然として脱しきれずにいる。このような違いが生じた理由はどこにあるのだろうか。

これには、様々な答えが考えられるだろう。労働市場の柔軟性を含む米国の構造調整と経済改革、強力な経済政策の成功など、多くの要因が挙げられるだろう。しかし、その中で最も目立った原因として、基礎学問に対する政府の持続的な関心と投資を挙げることができる。

現在、米国で単一学科の教授が平均的に最も多い学科として、数学科が挙げられる。私が学んだ西部のワシントン大学の場合、およそ80人の教授が在職している。

このように、米国では基礎科学分野がしっかりしているのに比べ、わが国の一部の私立大学では、構造調整の一環として数学科を廃止するところも現れているというから、呆れてものが言えないくらいだ。あらゆる学問の基本となる数学を疎かにして学問の発展を図るのは、まぐれ当たりを狙うのと同じだ。

また、わが国のかなりの大学において、現在の学部制が実用学問を中心にして再編されており、この先、競争力を完全に失ってしまうのではないかと、心配せずにはいられない。

文科系の場合、いわゆる将来性のある法学や経営学科が、そして理数系の場合、医学系列やIT関連学科の方に志願者が集中しているのが現状。

しかし、基礎学問の支えなくして応用学問の発展があり得るだろうか。先日、ソウル大学を世界の超一流大学にするべく、外国の碩学らの諮問を受けて得られた結論の一つも、文理(liberal arts)教育、基礎教育を強化せよとの注文だった。最近、世界中の多くの大学では大学生に対し、広範囲な教養と一般教育の重要性を一層強調している。基礎学問は、全般的な知識と知的能力の開発に重点を置き、知的柔軟性と生涯学習のための素養を養うという意味で、知識基盤社会においては大変重要である。

このように、基礎学問を通して持続的な成長を図るためには、基礎学問に対する思い切った投資と関心が伴わなければならない。しかし、余裕財源のないわが国の現状を踏まえると、基礎学問を育成するための次善の策は、専門大学院の導入である。したがって、現在教育改革の一環として論じられている経営大学院、法科大学院、医科大学院など、専門特殊大学院の導入が早急に行われなければならない。

幸い、教育人的資源部は最近、既存の医科大学と並行して専門の医科大学院制度を導入することにした。しかし、基礎学問の活性化を図るためには、二元化した

制度よりは単一化した医科大学院制度を導入する必要がある。

専門大学院が導入される場合、医科大学院に進むためには生物、化学などの学科を、法学・経営大学院に進むためには社会、人文科学の科目を学部の過程で主に受講しなければならないため、基礎学問が再び活気を帯びてくるだろう。米国東部の名門とされる、アイビーリーグの各大学の場合、学部の過程に経営学科を置いているところはペンシルバニア大学など、一部を除いてはない。他の一流の経営大学院も、大部分学部過程を設けていない。

そして、専門大学院が導入されれば、今のように学部過程の大学生たちが勉強しないでは済まされない。先日、ソウル大学に対する調査からも明らかにされているように、ソウル大生の勉強時間が一日平均2時間程度しかないとすれば、わが国の未来は聞かなくてもわかるはずだ。

基礎学問を育成するもう一つの方法は、国公立大学を中心にして基礎学問を特性化および活性化することである。国公立大学の公共財的機能を十分活かして、私立大学ではできない基礎学問への投資を強化するのだ。

基礎学問の育成と発展なくして持続的な成長は望めない。そして、基礎学問への投資ほど価値ある未来への投資はない。これこそが、わが国の持続的な成長を保障してくれることだろう。

尹勇晩(ユン・ヨンマン)仁川大教授(経済学)