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欧州グラウンドに巻き起こるか「太極戦士の旋風」

欧州グラウンドに巻き起こるか「太極戦士の旋風」

Posted July. 31, 2002 23:27,   

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世界サッカーの本場、欧州のプロリーグ。金と名誉を一手につかめる欧州プロサッカーリーグこそ、全世界のサッカー選手たちが夢見る幻の地だ。

2002韓日W杯で4強神話を作った韓国代表の太極(テグク)戦士たちが、欧州進出を積極的に取り組んでいるのも、まさしくこのためだ。

イタリアのセリエA、イングランドのプレミアリーグ、スペインのプリメラリーガなど世界3大プロリーグには多少及ばないが、トルコ1部リーグのトラブゾン・スポルに李乙容(イ・ウルヨン)が入団したのをはじめ、車(チャ)ドゥリがドイツ・ブンデスリーガ2部リーグのデュスブルークに入団し、欧州進出の夢を果たした。さらに、柳想鉄(ユ・サンチョル)、宋鍾国(ソン・ジョングク)、金南一(キム・ナムイル)なども次々と欧州リーグに進出する見通しだ。

韓国のサッカー選手として初めて欧州舞台を踏んだのは、車範根(チャ・ボムグン)元代表監督。車氏は、25歳だった1978年にブンデスリーガ2部リーグのダルムシタッドに入団し、デビューしたあと、翌年に1部リーグの名門フランクフルートに移籍し、本格的な活躍を始めた。

83年までフランクフルートでプレーした車氏は、レバークーゼンに移籍し、89年までブンデスリーガ1部リーグで通算307試合に出場し、98ゴールを放ち「褐色爆撃機」の名声を博した。

車氏の活躍が引き立って見えたのは、最近のブンデスリーガはイタリアやスペインリーグに比較して見劣りするが、当時は74年W杯で西ドイツが優勝したあと、最高の選手たちがブンデスリーガでプレーしていた。そんな状況下で、軍服務を終えた車選手が欧州舞台に飛び込んで打ち立てた記録は、今も驚異的なものと評価されている。

車氏と並んで活躍したスターは許丁茂(ホ・ジョンム)氏。前代表監督の許氏も、やはり軍服務を終えた25歳にしてオランダプロサッカー1部リーグのPSVアイントホーヘンに進出し、3年間、77試合で15ゴールを決める大活躍をした。

許氏が、活躍していた当時の、オランダのプロリーグもヨハン・クルイフという不世出のスターを輩出しており、「全員攻撃、全員守備」のトータルサッカーを作り出し、ブンデスリーガに並ぶ最高の舞台だった。現在、フース・ヒディンク監督が采配しているPVSでプレーメーカと攻撃手の役割を兼ねていた許氏の活躍ぶりは、目覚しいものがあったと評価されている。

車範根と許丁茂という二人のサッカー英雄の活躍に比べ、その後の欧州リーグでの韓国選手たちの活躍ぶりは物足りないものだった。

金ジングク、朴サンイン、朴ジョンイン、黄善洪(ファン・ソンホン)、金ジュソンがブンデスリーガに進出したが、92年から2年間、ドイツ・ボクムでプレーした金ジュソンが、2部リーグで23試合に出場し5ゴールを入れているだけだ。

また徐ジョンウォンが、フランスのストラブルスで98年から1年間プレーしながら、14試合で5得点。盧廷潤(ノ・ジョンユン)は、オランダのNACブレーダで98年から1年間、25試合で1得点。李相潤(イ・サンユン)がフランスのロリアンで、チョン・ジェグォンがポルトガルのセトゥーバルでプレーした経験がある。

最近では、安貞桓(アン・ジョンファン)がイタリアのペルージャで2000年から2シーズンをプレーし、30試合で5得点しており、薛鐗鉉(ソル・ギヒョン)は、ベルギーのアントワーフを経て、現在アンデルレフトで3シーズンで42試合に出て13ゴールを入れる活躍を見せている。



stt77@donga.com