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エイズとの戦いに勝っているブラジル

Posted December. 01, 2002 23:16,   

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12月1日の「世界エイズの日」を迎え、ブラジルは「勝利の便り」を伝えている。

ブラジルではエイズの発病件数が1998年を境に引き続き減少している。エイズウイルス(HIV)に感染して病院に入院した件数は、97年以降75%、エイズによる死亡者数は50%も減少した。エイズ患者の減少で、年間4億2200万ドルの財源を低減している。

人口1億7600万人のブラジルは、90年代はじめまでもエイズによって国の財政が底を尽くと警告された国だ。ブラジルの成功のカギは何だろうか。

民間公益団体のフォード財団の報告書によると、ブラジルでエイズの深刻さを悟らせた触媒は市民運動家だった。80年代、軍事政権からの民政移管の過程で浮き彫りになったエイズ問題を、市民運動家は医療問題ではなく人間の基本的な人権、引いては生まれ立ての民主主義に対する脅威と規定した。

市民運動家はエイズ感染者に対する社会的な差別に立ち向かった。代表的な人物が市民運動家のヘルベルトゥ・デ・ソーサ。穴牛病にかかり輸血される過程でHIVに感染した同氏は、86年、自分がエイズ患者であることを大衆の前で公開し、エイズとの公開闘争を宣言した。同氏が同年、初めて組織した全国的な民間エイズ撲滅組織(ABIA)は、現在は年間予算50万ドル、常勤職員20人を抱えている最大のエイズNGOとして成長した。

これに先立ち、85年サンパウロでは同性愛者が中心となってエイズ撲滅団体(GAPA)を設立し政府に圧力をかけた結果、86年に公衆医療システム改革案が発表された。

世界銀行は、94年に1億6000万ドル、98年に1億6500万ドルの資金を貸し付けており、政府は2億4000万ドルの基金を別途助成した。

もう一つの決定的な出来事は大手製薬会社に対する勝利だった。96年、エイズ患者の免疫体系を強化し病状を好転させる治療薬が発明されると、フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ当時大統領は、「この薬をエイズ基本治療薬に使いたい」と宣言し、ブラジルの科学者に同薬の開発を指示した。

「医薬品に対する接近権は基本的な人権の一つ」として製薬会社の特許を認めなかったのだ。

結局、「マーク」のような大手製薬会社が薬の値段を大幅に下げて供給することにしたことを受け特許権紛争が解決し、米国での販売価格の5分の1の値段で薬品供給を受けている。特に、昨年、世界貿易機構(WTO)がHIVの増殖を抑制する治療剤の場合、国の特許侵犯を認めると決定しており、ブラジルは世界エイズ闘争史に貴重な足跡を残した。



洪銀澤 euntack@donga.com