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[オピニオン]子どもとデモ

Posted October. 08, 2003 23:19,   

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パレスチナの少年ラミ・ジャマル・アルドゥラ君(12)は、父親と一緒に中古車市場に行った帰り道でデモ隊に巻き込まれた。イスラエル軍の銃弾が飛び交う中、親子はレンガ塀の前にうずくまった。少年は父親の懐で恐怖に震えた。「子どもだ。撃つな」という父親の叫び。しかし無残な銃弾は少年の腹部を貫き、少年はその場で息絶えた。00年9月30日にフランス第2テレビが放送したこの場面に、世界は驚愕した。少年の母親は泣きながら言った。いつかこんなことになると思っていた…。

◆イスラエルとの紛争がある度に、パレスチナの子どもたちは、大人にまじって街頭デモに参加することが多い。アルドゥラもそんな子どもの一人だった。この日アルドゥラが父親について市場に行ったのも、息子がデモに巻き込まれると心配した母親が、わざとそうさせたのだった。世の中のすべての紛争には、様々な理由がある。しかし子どもには、紛争当事者たちの論理をバランス感覚をもって認識する能力がない。たいてい自分の家族が属する方に盲目的に従うだろう。そうするうちに大人たちのケンカが激化し、その被害はそのまま子どもに帰ってくる。学校にも行けなくなり、保護されず放置されたり危険な状況に置かれたりする。

◆いつからか韓国社会にも、デモ現場に少年や子どもが登場することが多くなった。昨年全国を沸き立たせた女子中学生死亡糾弾デモもそうであり、最近の放射性廃棄物処理場問題で風の止む日がない扶安(プアン)デモもそうだ。ろうそくデモには必ず子どもや少年が目につく。しかし「米軍撤退」を叫ぶ子どもが、その言葉の複雑な政治・経済的含意を十分理解しているとは考え難い。「子どもはこのようなことを通じて民主主義を学ぶ」と擁護する人がいるが、民主主義とは多様な立場を考慮して妥協することであり、一方の主張だけを掲げることではない。

◆政府が、暴力性を帯びたデモや集会に少年や子どもを強制的に動員できないように法改正の推進に乗り出した。望ましいことだ。これで、韓国で子どもを危険や論争が多いデモで「盾」にすることが無くなればいい。しかし法がどれほど現実に合致するかという疑問は依然として残る。合法、違法の区別に曖昧な点が少なくないからだ。結局法よりも重要なのは、大人たちの考えだ。まず子どもをデモの「道具」に活用できるという考えから捨てなければならない。これからは韓国の子どもたちは、いるべき所にいなければならない。

宋文弘(ソン・ムンホン)論説委員songmh@donga.com