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[社説]高句麗が消えた

Posted November. 27, 2003 23:15,   

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世界の有名インターネットサイトが、韓国の歴史の起源を、新羅が三国を統一した時点にあたる、西暦668年として紹介しているというニュースだ。民族的な憤りとともに恥ずかしさを覚えずにはいられない。檀君王倹(タングンワンゴム)から始まった5000年の歴史が、僅かに1300年あまりに縮小され、歴史上、我が民族の最も誇らしい国家だった高句麗が、一瞬にして「消え去った王国」となったわけだ。

あきれたことは、このようにとんでもない歴史の歪曲を、とある民間団体が発見し、是正のために尽力しているという事実である。いったい、わが国の政府と関連省庁は、この間何をしていたというのだろうか。

中国は最近、高句麗史を中国史の一部に編入するため「東北工程」というプロジェクトを進めている。5年間莫大な予算をかけて、高句麗が中国辺境の少数民族が建てた地方政権であり、中原の政府に代ってその地域を委譲、統治した割拠政権であったということを立証するというのだ。中国は、昨年ユネスコが北朝鮮の高句麗古墳を世界文化遺産に指定するのを妨害し、高句麗が満州一円を掌握したことを立証する決め手となる「物証」の、広開土王(好太王)碑と、集安一円の高句麗古墳に対する大掛かりな整備に乗り出したのも、この事と無関係ではないだろう。

歴史学者らは、中国のこのような動きを、自国内における少数民族の独立および自決権の要求を未然に防ぐ一方で、朝鮮半島の統一以降、吉林省、黒龍江省、遼寧省など東北3省に住む朝鮮人たちの動揺を防ぐための長期的な布石であると分析している。

嘆いてばかり入られない。教育人的資源部、外交通商部、文化観光部、情報通信部、国政広報庁など、政府の関連省庁は、一日も早く政府レベルの対策と長期的な支援策を設けるべきだ。学界もまた、この20年間1000本を超える論文を通じて高麗と渤海史を中国史と主張してきた中国に対応して、十分な史料の発掘と対応論理の開発を急がなければならない。705年間実存した我が民族のプライド「大高句麗」を、我々の代で、単なる中国の辺境と転落させるわけにはいかないのだ。