「孫基禎(ソン・ギジョン)は俺の一番良き友達だった。優しくて情が深く、義理があった。俺たちはベルリンでいつも笑顔で会って、ベルリン市内を共に走りながらコンディションを調節したんだ。俺は孫基禎に『とても強靭な顔をしている』と話した。結局、彼は優勝した」
「ボストンの英雄」ジョーン・Aケリー(96)は68年前の1936年ベルリン五輪を思い浮かべて、穏やかなほほ笑みをたたえた。ケリー翁は故孫基禎先生が金メダルを獲得したベルリン五輪に米国代表として出場して18位になった選手。レースが終った後、孫先生に「運動靴を俺にくれないか。そうすれば俺も良い成績を挙げられそうだ」と言って、孫先生が履いて走った運動靴をもらった主人公でもある。
ケリー翁は1935年と45年、ボストンマラソンで2回も優勝し、92年まで61回出場(58回完走)して、2位を7回、「トップ10」入りを18回も果たした「生きているボストンの伝説」だ。
第108回ボストンマラソン開幕1日前の19日、ボストン市内のホテルでケリー翁と会った。通りかかる市民たちは「こんにちは。私たちの英雄、ケリーさん」と挨拶をし、彼はそのつど手を挙げて返事をした。
「孫基禎は誰に向っても自分が日本人ではなくて韓国人(Me Korean、not Japanese)だときっぱり言っていた」
彼は孫先生の熱い愛国心をいまだにはっきり覚えている。「僕が運動靴をくれないかと言ったのは、その靴が親指と他の足指が区分されていて、とても軽かったためだった。孫基禎が後でまた二足を送ってくれてよく履いた。孫基禎が履いていた靴もぼろぼろになるまで履いてから捨てた」
ボストンマラソン組織委員会(BAA)のグロリアG.レティ副会長は、「ベルリン五輪の時でも米国製の運動靴は重かった。米国選手は他国の選手が軽い運動靴を履いていると、よくくれと言ったものだ。多分ケリーさんもそうしたのだろう」と説明した。
「ベルリンから帰国した後、孫基禎にボストンマラソンに出場するようにと4回も手紙を出した。孫基禎は後に立派な選手らを連れてきたまた優勝させたのだから、指導者としても成功したわけだ」
孫先生はケリー翁の勧めで47年(51回)、ソ・ユンボクをボストンマラソンに出場させて世界記録で優勝(2時間25分39秒)を成し遂げた。また50年にはハム・ギヨン、ソン・ギルユン、チェ・ユンチルを1、2、3位に入賞させて韓国マラソンの優秀性を全世界にアピールした。
「2年前、孫基禎が世を去ったという消息を聞いて悲しかった。しかしそれが人生だ。僕たちが生まれ変わってまた会えたら、やっぱり良き友達として過ごすだろう。しかし、またレースをすれば僕も手ごわいよ」
100歳を目前にしているが、ケリー翁の声はしっかりしていた。彼は84歳の時、最後にボストンマラソンに出場し、以後大会の度に開幕式に参加している。
梁鍾久 yjongk@donga.com