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「260年前の秀麗なソウルが絵で蘇った」

「260年前の秀麗なソウルが絵で蘇った」

Posted May. 15, 2004 00:13,   

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高層ビル群と自動車に埋め尽くされた2004年のソウル。『ソウルは満員だ』という高度成長期の小説題目に盛り込まれた疲労感と「汚辱の都市」というミュージカル「地下鉄1号線」の歌詞に盛り込まれた幻滅感が支配する都市だ。

しかし、約260年前のソウルの風景は「春雨に降られた柳の新芽」のように爽やかで、「中天に浮かんでいる日ざし」ほど眩しかった。1740年前後、謙斎・鄭敾(キョムジェ・チョンソン、1676〜1759)が画いた漢陽(ハンヤン、朝鮮時代の都)の風景を今日の姿と比べた「謙斎の漢陽珍景」(東亜日報社)は、ソウルがどんなに美しい都市であるかを見せてくれる。

「世界で首都近くの風景をこのように豊かで細密に画いたケースがまたあるだろうか。それほどソウルの風景が美しいという証拠です。」

謙斎の絵を通じて600年古都の昔の風景案内に出た澗松(カンソン)美術館のチェ・ワンス研究室長(64、写真)は、謙斎が活躍した前後時期を真景時代(1675〜1800)だと呼ぶ。

「この時代は退渓(テェゲ)と栗谷(ユルゴク)が作った朝鮮(チョソン)性理学が朱子学に代わって国家的理念になって、朝鮮が世界文化の中心というプライドに満ちた時期です。朝鮮文化に対するこのようなプライドは朝鮮国土が世界で一番美しいという認識に繋がります。謙斎の絵はそのような認識の最高の賜物です。」

漢陽(ハンヤン)最高の風光を誇った清風渓(チョンゲチョン、今日青雲洞一帯)の秀麗な景色、霧立ち込めた日の仁王山(インワンサン)から南山(ナムサン)を見下ろしたときの鐘路(チョンロ)と新門路(シンムンロ)一帯の雄大壮厳な景色、今の青瓦台(大統領府)の地にあったテウンア庵とトクラク亭の孤高な姿態、鴨鴎亭(アプグジョン)と石村(ソクチョン)湖一帯の優雅で風情に満ちた風景、五輪通りが建設されて島から陸地に変わり神秘な姿を失ってしまったクァンジュ岩の昔の姿…。

しかし「謙斎の漢陽珍景」は、今日その場へ足を運んでも、ふとその昔の姿を思い浮かべにくいこうした風景に対する記録だけが画かれたわけではない。謙斎が交遊した朝鮮最高の知識人らの世界観と当代の風俗に対する案内書でもある。

澗松美術館は16〜30日、本で紹介された漢陽珍景約40点を含めて、謙斎の絵およそ100点を展示する「大謙斎展」を開催する。週末ごとに「汚辱の都市」を抜けていくために交通渋滞に苦しむソウル市民たちはまず回りを見回すべきだ。そこに謙斎の絵が潜んでいるから…。



權宰賢 confetti@donga.com