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「聞こえないから集中し易い」聴覚障害ゴルファーが語るPGAへの夢

「聞こえないから集中し易い」聴覚障害ゴルファーが語るPGAへの夢

Posted May. 18, 2004 22:56,   

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ボールが当たる音も聞こえない、ボールがホールに入る音も、ギャラリーの拍手の音も…。しかし、ゴルフへの情熱だけは抑えられない。聴覚障害を持つゴルファー李スンマン(24)。アジアツアーのSKテレコムオープン(20日開幕)に参加するため2年ぶりに故国を訪れた彼は、18日、白岩(ベグアム)ビスターCCで自分のゴルフ人生と夢を広げて見せた。

▲ゴルフだけが唯一の友達〓李スンマンの手は際立って大きかった。「もともと大きいわけじゃなくて、子供のときからボールをたくさん打っていたので自然と大きくなった」と、父親の李ガングン氏(56)は言う。同氏は「スンマンは小学校1年生の8歳の時から一日2000個のボールを打った。練習のあまり手も大きくなって腕も伸び、今は左腕が右腕より3cmぐらい長い」とつけ加えた。

生まれる時から聴覚を失っていた李スンマンは2級の聴覚障害者。耳のところで大声を出さない限りほとんど聞くことができない。相手の唇を見て簡単な言葉でコミュニケーションするだけだ。彼は、「子供の時友だちがいなかった。両親がゴルフスティックを買ってくれてから、ゴルフだけが私の唯一の友だちだった。寝る時も離さずに胸に抱いたまま寝た」と話した。

▲失敗と挫折〓李スンマンはジュニア時代、各種大会で16勝を収めるなど才能を覗かせた。1997年には「ゴルファーのたまご」として選ばれて米リードベター・ゴルフ・スクールにも籍を置いた。

この時から米ツアー生活を夢見た彼は99年、米国舞台に足を踏み入れた。毎週月曜日に行われるツアー参加予選を通過するため、モーテルを転々とするいばらの道が始まった。00年には月曜日予選をパスして、「夢の舞台」である米プロゴルフ(PGA)ツアー舞台を二回も踏んだ。しかし、いずれもカットオフ脱落した。01年と03年には2部ツアーシードまで失った。

スポンサーがなくて大会経費を用意するのが大変だった李スンマンは、「次の大会の出場経費を稼ぐためにはカットオフ脱落せず賞金をもらうのが重要だった。安全なプレーをするため、ボールを思う存分打つこともできなかった」と話した。

▲崔京周との縁〓「スンマンさん、焦らないでな。アジアツアーで経験を積んでからゆっくり上がってくるんだ」。 昨年12月、ヒューストンの家に李スンマンを呼んだ崔京周(チェ・ギョンジュ、スーペリア、テーラーメード)は彼の手を握って封筒を渡した。封筒には2万ドルの巨額が入っていた。アジアツアーで経験を積みなさいと言いながら渡した経費。00年シェル・ヒューストンオープンで初めて会ってから、崔京周は李スンマンのことを実の弟のように気遣っている。

崔京周の言葉を聞いて李スンマンは04アジアプロゴルフ(APGA)ツアー・クァーリパインで優勝し、今年からAPGAに挑んだ。クァーリパインスクール途中、脱膓症状が発生したものの、巨額の手術費のため我慢してツアーを続けた。故国へ帰ってきたついでにSKテレコムオープンが終わった後手術を受ける予定。

▲夢はPGAメンバー〓李スンマンは専担キャディがいない。大会キャディが彼の面倒を見るだけだ。聞こえないから不自由があるかと?「音が聞こえないからかえって集中しやすい」と笑った。アジアツアーで多くの仲間と大会要員が助けてくれてそれほど不都合もないという。もちろん対話ができないから心を打ち明けられる友達はいない。ストレスを発散したい時はボールを打ち続ける。

李スンマンは、「私の目標はPGAメンバーになること」と言った。それと共に「PGA初勝利を獲得して30過ぎて結婚したい」と話しながら親指を立てた。彼は今シーズンが終わると、PGAクァーリパインスクールに挑戦する。今やPGAで彼を見る日が遠くないようだ。



金相洙 ssoo@donga.com