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映画「トゥモロー」に「あした」はない

Posted June. 01, 2004 23:12,   

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スペクタクル災害映画専門家のローランド・エメリッヒ監督が今度は気が付いたようだ。映画には観客が肌で感じられる接点が必要だということを。彼の前作がそうであるように、異星人(インディペンデンス・デー)や突然変異した化け物(ゴジラ)の襲撃は人間の目を捕らえることはできても心を動かすことは難しいから。

4日封切られる「トゥモロー(原題:The Day After Tomorrow)」では監督のこうした反省が見て取れる。環境汚染と地球温暖化でもたらされた物凄く破壊的な自然災害が地球を脅かす状況で、これに立ち向かう人間群像の多様なヒューマン・ストーリがぎっしりと散りばめられているからだ。監督は家族と友達、恋人、隣人を助けようとする個人のレベルへカメラの目線を低めて、地球規模の大災害を物語る。もちろん、問題はその話の説得力になるけれど。

気象学者のジャック・ホール博士(デニス・クエイド扮)は氷河を探査しているうちに異常気象を察知する。彼は「地球温暖化によって氷河が溶けて海流の流れが変わることで、結局氷河期へ向かう」と警告する。しかし米副大統領は、「ずっと先になって心配しても良いこと」と一蹴する。一方、ホール博士の息子サム(ジェイク・ギレンホール扮)はガールフレンドのローラー(エミ・ロッサム扮)と共にクイズ大会に参加するためニューヨークへ向かう。数日後、スーパーストーム(巨大嵐)や津波、暴雪が地球を襲う。地球の北半球は徐々に氷河に変わり、メキシコ国境を越える米国人のエクソダスが始まる。図書館に孤立させられたサムとローラーは厳しい寒さと飢えを凌いでいて、ホール博士は息子を救うために死の地と化したニューヨークへ向かう。

エメリッヒ監督は展開された話を収拾しようとするが、あまりのスペクタクルに押されてエピソードは徐々に破片化してしまう。彼は自然災害映画でさえも教訓性を蒸発させてしまう非常に特別な長所と短所を持ち合わせている。まさか映画を見た人が「環境汚染を減らさなければ」と苛立ちを感じるだろうか?とんでもない。「こうしたことが起きれば面白そうだな」と思う方が多いだろう。

地球規模の危険を察知した気象学者が危機を目の前にして息子を救うために死地へ向かう設定がつじつまが合わない。しかし、この映画の主人公はどうせ酷寒、巨大嵐や津波が作り上げるスペクタクルそのものだ。

エメリッヒ映画につき物だった米国優越主義も英雄主義も消えた。頑なさで有名なチェイニー米副大統領に似ている映画の中の副大統領は意地を張ったあげくに、メキシコの国民に「米国の難民を受け入れてくれて感謝する」と頭を下げる。また、副大統領に振り回される大統領(何となくゴア前副大統領に似ている)は一番遅れてホワイトハウスを出て凍え死にしてしまう。

傲慢な米国叩きだと?実は笑わせる話だ。1億2000万ドル(約1440億ウォン)を注ぎ込んで「これでも見ないのか」というふうな物量攻勢をかけてくるこのハリウッド・ブロックバスターでか。風刺もたまには贅沢な時があるものだ。12歳以上観覧可。



李承宰 sjda@donga.com