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北朝鮮を脱出した同胞に送る 脱北者記者の思い

北朝鮮を脱出した同胞に送る 脱北者記者の思い

Posted July. 29, 2004 22:18,   

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ある者は車窓の外の見慣れない風景に目を奪われ、ある者は暑い東南アジアの隠れ家で数百回夢見た韓国での生活を描きながら覚悟を新たにしただろう。

27,28日の2日間にかけて入国した468人の北朝鮮脱出者(脱北者)たちがバスに乗って臨時収容施設に移動する姿を見守りながら、記者の気持ちは誰よりも複雑だった。

バスに乗って向かう彼らは、どんなことを考えているのだろうか。

今、夢見ている将来に対する希望が次々と崩れ、苦痛に変わりうるということ、そうした苦痛を幾度も越えなくてはいけないということを彼らは知っているだろうか…。かばん2つを手に、埃のつもった11坪の賃貸アパートで荷物をほどいた夜、故郷が恋しくて涙で枕を濡らさない人はいないということを、彼らは知っているだろうか…。

2年前、仁川(インチョン)空港にはじめて降り立った私(東亜日報記者)もそうだった。洪水で氾濫した豆満江(トゥマンガン)を泳いで渡った決行の瞬間もあったし、公安に逮捕され中国と北朝鮮の刑務所を6カ所も行き来したが、韓国で迎えた最初の夜は今でも忘れられない。華やかなネオンサインが点滅する夜の街を見ながら、新たな人生に対する期待と不安が交差したあの日の夜。

しかし、それから2カ月後、8月の炎天下のもとで熱くなったコンテナの中を行き来しながらワインの箱を運ぶ日雇い労働者として、定着への第一歩を踏み出さなくてはならなかった。続いて物品配達、クレジットカードの広報、服を洗濯する仕事…。

「面接の際、大学の卒業証書を持参するように」との社員募集案内を見て、金日成大学の卒業証書を持っていったら、「北朝鮮の実力が通じますかねえ」と言って私を見た人事担当者の目つきも忘れることができない。

アフリカの未開人を見るような「同胞」の視線の前で、平然としている振りをし、夜には故郷への恋しさに身をよじり、朝にはまた出勤して笑顔で過ごさなくてはいけなかった。胸のうちにどんな苦痛があっても、どんな青雲の志を抱いてきても、「定着」という聞こえのいい言葉で表現される生存問題が、何よりも切迫していた。北朝鮮を脱出した人生のスタートは誰でも同じだと思う。

1カ月間、夜通し話してもきりがないくらいだ。しかし、そんな過去はもう意味がない。これまでに私は、脱北者収容施設であるハナ院を出てからたった3日で仕事を始めた30代の女性にも、1年半が過ぎても職につけず米国への移民を望む男性にも会った。

苦労して稼いだお金をもって1人暮らしのお年寄りを訪ね、奉仕する幸せに一日一日を感謝しながら暮らす人も、盗んだ乗用車を売って刑務所に入った人もいた。韓国に定着した脱北者の人生は千差万別だ。

北朝鮮から来た多くの人々は北朝鮮映画「14番目の冬」に登場するセリフを覚えていることだろう。

「私と彼の人生の始まりは同じだったが、今はどうしてこうも違うのだろう」

夢なくして来た人はいない。さあ、始まりは同じだ。深い苦痛を胸に死線を越えてきた兄弟たちがこの地で真面目に努力の汗を流しながら、無事定着することを心から祈っている。

◆チュ・サンハ記者は金日成総合大学を卒業し、2000年に北朝鮮を脱出、2002年韓国に来た。2003年、東亜日報に入社し、現在延世(ヨンセ)大学行政大学院で国際関係・安保学の課程を履修している。



zsh75@donga.com