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朝鮮王朝は経済から没落した

Posted September. 17, 2004 22:30,   

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「数量経済史で見る朝鮮後期」

李ヨンフン編/409ページ/2万ウォン/ソウル大学出版部

「民族主義実証史学」を掲げる韓国史学界は今、四方からの挑戦に直面している。「民族主義は虚構だ」というのがモットーの西洋史学界は、「国史解体論」で全面戦争を宣布した。漢文学界と社会史学界はミクロ史の塹壕を掘り、政治と思想中心のマクロ史の根幹を激しく揺さぶる。そして経済史学界は、過去の韓国史学界が在野史学界の主張を無力化した実証的方法論を使って、さらに徹底して武装した「数量経済史」で圧迫を加える。

「数量経済史で見た朝鮮後期」は、まさに経済史学界が民族主義史学界に照準を合わせた艦砲射撃である。民族主義史学界は、日本植民地支配の「朝鮮社会正体性」を反ばくするために、朝鮮後期にすでに資本主義が内在的に芽生え始めていたという「資本主義萌芽論」を提起した。1987年にアン・ビョンジク元ソウル大学教授と、成均館(ソンギュングァン)大学のイ・デグン教授を中心にして設立された「落星垈(ナクソンデ)経済研究所」はこれに対抗して、韓国の近代化は日帝強占期から本格化されたという「植民地近代化論」を展開した。

同本は、ソウル大学のイ・ヨンフン教授たち「落星垈経済研究所」の第2世代の新しい実証研究の初の結実である。彼らは韓国学術振興財団の援助を受けて、2002年8月から3年間に渡って「韓国の長期経済統計」に関する研究を進めている。同本は、その中でも1650〜1910年の人口、賃金、地代、物価、利子率、経済成長率などの統計を抽出して分析した第一次年度の研究論文9編を集めたものだ。

両班(ヤンバン)家の族譜や、米の価格、利子率の記録、各種の儀軌に現われた賃金の記録、族契や洞契などの地代の記録などを分析した同本の結論は、朝鮮後期の経済が18世紀までに安定期または発展期を経て、19世紀に危機に陥ったということだ。

増加の一路だった人口は死亡率の増加とともに減少傾向に転じ、米の価格など物価は暴騰した一方、実質賃金は下落した。18世紀の経済成長を支えた中国・日本間の中継貿易の減少で、中央政府の銀保有量は1742年の100万両から1782年には43万両にまで減少した。また海岸の木材伐木を許可しなかったため、内陸の山林は荒廃し、これは田の単位生産量の減少と農村市場の減少などにつながり、年間約1000万石におよぶ換穀制の解体を生んだ。これは「朝鮮王朝の滅亡が、ある強力な外勢の作用のためだというよりも、体力が消尽したあまり自ら解体していったと言っていいほど深刻だった」のである。

朝鮮経済の反資本主義的性格も指摘している。19世紀末までに、米や麻・木綿などの商品が貨幣に代わり、利子率が年間30〜40%の高率だったという点は、資本蓄積の困難さを示している。また、募軍と呼ばれた貧しい未熟練労働者の賃金が、匠人と呼ばれた熟練労働者よりも高かった点や、18世紀中葉に年間1000万石に達した換穀制は、非市場的な道徳経済の強固な尊属を示す。

しかし、統計がすべてを語ってくれるのではない。19世紀に朝鮮経済が限界に達したことは、すでに多くの民乱が立証している。また、経済危機が必ずしもその危機を乗り越える内的動力の枯渇を意味するのではない。英国も、産業化の初期に農村経済の崩壊と賃金の下落を経験したし、日本経済も開港を前後して農業生産力の減少と物価の暴騰に直面した。このような脈絡から、韓国史学界のさらなる応戦を期待してみることができるだろう。



權宰賢 confetti@donga.com