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[社説]「ニューライト新保守」の役割を期待する

[社説]「ニューライト新保守」の役割を期待する

Posted November. 07, 2004 23:08,   

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盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府発足以来、沈黙を守ってきた知識人や団体、政財界や法曹界が動き出した。これまで親盧系列の進歩勢力だけが声を高め、これと異なる見解は冷戦守旧または反改革として攻撃を受けるのが普通だった。新しい保守主義と自由主義を志向する「ニューライト(New Right)」が健全な批判勢力としての地位を占めるか、注目されるのもこのためだ。

「ニューライト」の問題意識は、現政権の急進的な路線が、自由民主主義と市場経済の憲法精神を毀損しているということにはじまる。国民の77.1%が「政府の国政運営は誤り」、53.7%は「改革政策を支持しない」と回答した、本紙の世論調査の結果と同じ脈絡である。

彼らは、政府の対北認識と対米政策が、大韓民国のアイデンティティに疑念を抱かせたと指摘する。また、基本権を侵害する違憲的法案が「改革」の大義名分で強行され、市場経済の論理と世界的な流れに逆行する政策が、成長はもとより再分配まで妨げていると憂慮する。しかし、このような問題提起は、「理念論」または「逆理念論」に進み、深みのある論議さえも難しいのが現実だ。

民主主義と改革の大義名分で、すべてが許されるわけではない。「政権386」など、新主流勢力が成し遂げた民主化運動の功は認められなければならないが、果して何のための民主主義だったのか、考える時が来た。大韓民国に住む一人ひとりの自由と基本権のための民主化だったのか、彼らの権力のための手段ではなかったのか。民主的な手続きを通じて政権を獲得したとしても、国民的意見の収れんもなしに独断で権力を乱用するなら、「非自由主義的民主主義」であると同時に「選出された独裁」に転落する恐れがある。

保守であれ進歩であれ、無条件に善悪を分けることはできない。憲法の精神に背を向ける民主主義も、まともな民主主義ではない。従来の保守と中道、そして進歩勢力が生まれ変わることは、そのためにも必要である。政治的自由主義と経済の市場中心主義を掲げた「ニューライト新保守」の中心的な役割を期待する。