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「グィヨウォ」のイェ・ジウォン 超現実的なキャラクターを演じる

「グィヨウォ」のイェ・ジウォン 超現実的なキャラクターを演じる

Posted November. 10, 2004 22:48,   

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去年、映画「大韓民国憲法第1条」で補欠選挙に出馬する売春婦で出演し、映画撮影を許可しない国会の垣根を越えて世を騒がせたイェ・ジウォン (32)。彼女がもう一度世間を騒がせそうだ。

26日封切られる超現実的な、あるいは魔術的な感じの映画「グィヨウォ(可愛いという意)」(金スヒョン監督)で異腹の三兄弟とその父親の愛をあまねく受け入れるスポンジのような女「スンイ」に扮した。「スンイ」は撤去直前のソウル黄鶴洞(ファンハクドン)のアパートを背景に、クィックサービスマンの長男「963(金ソクフン扮)」、牽引車運転手の次男「ゲコ(ソンウ扮)」、組織暴力団の三男「モシギ(チョン・ジェヨン)」、男の巫子の父親「チャンスロ(チャン・ソンウ)」の間を行き来しながら、はらはらさせる四角関係の愛情行為を繰り広げる。

雨の降っていた5日夜、イェ・ジウォンと会った。

—「スンイ」は「全ての男が私のことを気に入ってほしい」と言うんですね。同意しますか。

「正直、女なら誰もそうですよ。しかし、表ざたにそれを言うとその瞬間この社会では『アウト』にされますね。こんな心をうまく打ち明ける女の人が周りに何人かいますが(笑い)、それも能力だと思うんです、私は」

—1人の女性が一家族の4人の男と愛をしますね。非現実的で、背倫じゃありませんか。

「いいえ。彼らが社会に馴らされていないからです。他人の機嫌を取りながら生きたことがなく、まともな職場も持たないまま、社会と妥協することがないんです。しかし、『悪いやつ』は1人もいません。この映画は中へ入って感じる時と一歩離れて見る時と大きな違いがあります。道徳と背倫の区分も似ているような気がします」

—「スンイ」は「大自然の母親」ですか。傷つけられた男をみんな受け入れて癒してあげる…。「スンイ」は「モシギ」が「あの…胸にちょっと触ってみても…」と言うや否や上衣を脱ぐんですね。

「スンイは4人の男を男としても愛していますが、彼らの魂を愛しているんです。スンイには性行為そのものが一種の『布施』というか。男たちの空いていて空虚な部分を満たしてあげるものですね。一般の道徳の基準では判断できないです」

—今度の映画もそうですし、前作の「生活の発見」もそうですし、イェ・ジウォン氏は男たちに独特なファンタジーを与えますね。私のことも愛してくれて、また他の男も同じく愛しそうな…。

「そうした幻想を与えているならば、私も嬉しいです(笑い)。しかし、今度は体重を増やして、顔もわざと腫れている状態で撮影したのです。撮影の前日、食べ物に注意したり、サウナへ行ったり、顔にパックをしたりすることをしませんでした。何か、この世にはいない、野性的な女に見せたかったんです」

—セックスシーンで女優たちは普通「自己中心的」な感じを与えますね。反面、イェ・ジウォン氏は「本当に相手を愛しているような」感じを与えますが。

「そうです。その通りです。私には『人に乗る』ところがあります。良い作品と良い人と一緒にいれば、自分も知らないうちに恋愛する気になります。その分、愛されている気もしますし。撮影が終ったら、うつ病になったりするんですよ。あ、これ(恋の心と空しさ)をどう埋めれば良いだろうか、と。今も会えば興奮してしまうんです、好きで。しかし、これは短所でもありますね。好きな時はそれで良いですが、その反対になる場合もありますから。私が単純だからそうなんです。それで単純な「スンイ」と似ています。本当に盲目的な面がありますから。

—演技力に比べて大衆的な人気が及ばないのではないでしょうか。

「私の運命です。これからも体は大変でも精神的に充満した作品をやりたいと思っています。この映画でスンイは『とにかく良かった。皆が私のことを気に入ってくれて、誰も私のことを知りたがらなくて』と言うでしょう。私も同じ気持ちです。ファンは俳優に熱狂していても、過去にこだわったり些細なことで背を向けたりしますからね」



李承宰 sjda@donga.com