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日本、120年前の軍国主義に回帰

Posted May. 25, 2005 03:23,   

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日本近畿大学の柄谷行人(64、写真)教授は日本現代知性界のスターだ。

文学評論家から出発し、歴史・建築・哲学など全方向の文芸評論家に変身した柄谷行人は、「人文学界の村上春樹」と言われるほど、韓国の若い人文学者たちに影響を及ぼしている。非西欧人の周辺的な問題意識に西洋の近現代思想に対する深い洞察力を結びつけて、世界的普遍性を獲得する柄谷行人の思惟方式は西欧でも脚光を浴びている。24日、高麗(コリョ)大学100周年記念学術大会の文化分科で「東アジアの理想」という主題で講演した柄谷行人教授に会って、韓中日3国を襲っている民族主義問題に対する見解を聞いた。

柄谷行人教授は、第2次世界大戦の敗戦国であるドイツと日本が過去史に対して反省する姿勢に大きな差が出る理由を、近隣諸国と「共同体の拡大」という理想を維持したかどうかの差だと分析した。

ドイツは第2次大戦敗戦後「第3帝国」の夢を「欧州連合(EU)」の形で維持・発展させたのに対して、日本は敗戦後「大東亜共栄圏」をあきらめてアジアと断絶を追求したという分析だ。このためにドイツは欧州統合という理想のために近隣諸国に過去史を絶えず謝罪している一方、初めから西欧化を選んだ日本は近隣諸国に対する罪責感に無感覚だと言うのだ。

柄谷行人は、「歴史は2回繰り返される」と言うヘーゲルの言葉と、ロシアの経済学者コンドラチェフが景気波動が50〜60年単位または120年単位で繰り返されると分析したことを組み合わせて、「歴史は60年または120年単位で繰り返される」と主張した。

「マルクスは、1789年にフランス革命でナポレオンが登場したことと1848年の革命でルイ・ボナパルト(ナポレオン3世)が登場したことを歴史の繰り返しと見た。1848年の革命はまた120年後の1968年の革命として繰り返された」。

柄谷行人はこれを土台に「日本が過去に回帰しているが、それは軍国主義が起きた1930年代ではなく、近代国家の樹立初期である1880年代への回帰と考えなければならない」と主張した。

日本の1880年代は福沢諭吉(1835〜1901)の脱亜論と岡倉天心(1862〜1913)の「汎アジア論」の激しい戦いが起きた時期だったし、結局脱亜論が勝利し、西欧帝国主義の道を歩むことになったというのが彼の分析だ。

柄谷行人教授は「帝国主義日本は以後、岡倉の理想に盛り込まれた内容は脱却したまま、『アジアは一つ』という掛け声だけ受け入れ『大東亜共栄圏』を提唱するようになっており、以後2次大戦の敗北でまた徹底的に脱亜論に充実な国になった」と指摘した。

しかし、現在の日本のそのような脱アジア的志向は、最初の脱亜論とは違って、第2次大戦の敗北で得た覚醒、すなわち「米国と対立せず、アジアの味方にならない」という意識の反映だというのだ。

「私は、日本の政治家らが、アジアの人々と仲良くしたいならば絶対に言わないはずのばかな言葉を繰り返すのをみるたびに頭に来た。それはアジア国家と関係を強固にしようとする日本の多くの努力を水泡に帰す行為だからだ。しかし、小泉純一郎首相の言動とそれに対する国民的人気を見て、このことを悟った。日本は60年前に帰らず、無意識的に120年前の歴史を繰り返している」。

彼は120年前の過ちを繰り返さないために「アジアは一つ」という岡倉の理想に盛り込まれた文化主義を取り戻すべきだと強調した。彼は、「その理想が国家と資本によって発火される瞬間、その理想の内容は空虚になり醜悪になる」とし「歴史の虚しい繰り返しから脱し、少しずつ前進するために、アジア人ひとりひとりの連帯と提携を通じてその理想を追求しなければならない」と話した。



權宰賢 confetti@donga.com