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盧大統領の側近、今は

Posted June. 04, 2005 06:32,   

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李海瓚(イ・ヘチャン)首相が「(大統領の)側近と私組織の跋扈(ばっこ)の可能性」を警告したことに対して、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の側近であるヨルリン・ウリ党の廉東淵(ヨム・ドンヨン)常任中央委員が「側近に何の問題があるというのか」と返し、側近や私組織問題が改めて関心事として浮上している。

盧大統領政権の中盤期を迎えた今、側近たちは何をし、首相が指摘した「跋扈の可能性」の意味するところが何なのか、政界の目が注がれている。

▼李光宰の独走?〓盧大統領が90年代初めに発足させた「地方自治実務研究所」の人脈は、代表的な大統領側近グループだ。研究所人脈では、ウリ党の李光宰(イ・グァンジェ)議員と安煕正(アン・ヒジョン)氏が、盧大統領の「左腕」と「右腕」を自任する核心。

行政自治部長官を務めた金斗官(キム・ドゥグァン)大統領政務特補も、研究所と縁があり、金秉準(キム・ビョンジュン)大統領政策室長は、研究所所長を務めたことがある。

李首相に直撃弾を飛ばしたウリ党の廉東淵議員は、02年の党内選挙陣営に合流して、盧大統領と縁を結んだ。ウリ党の徐甲源(ソ・ガブォン)議員と千皓宣(チョン・ホソン)大統領国政状況室長は、研究所の研究員を務めた。

しかし現在、彼らの関係は過去のようではない。安煕正氏が収監生活をしている間に旧地方自治研究所の少壮派の人脈が李光宰議員の方に傾倒したという説や、最近になって李議員と安氏の関係が疎遠になったという噂が流れている。

与党内では、最近の各種事件で話題になった与党議員の中には李議員の人脈が少なくないという指摘もある。ロシア油田開発疑惑論議に包まれた朴南春(パク・ナムチュン)大統領人事制度秘書官は李議員が大統領国政状況室長だった時に指揮下にいたとされ、行淡島(ヘンダムド)開発事業に介入した文正仁(ムン・ジョンイン)前大統領諮問東北亜時代委員長も李議員と格別の縁があったという。

▼大統領府に入城した釜山(プサン)派〓盧大統領の政治的基盤だった釜山で縁を結んだグループだ。盧大統領とともに弁護士活動をした文在寅(ムン・ジェイン)大統領民政首席秘書官は、政権発足当初に続き、今年1月、同秘書官職に返り咲いた。

1981年「釜林(プリム)事件」で拘束された運動圏出身の李鎬迵(イ・ホチョル)氏も、2月に再び大統領府に入城し、大統領制度改善秘書官を務めた。

「386グループ」の崔仁昊(チェ・インホ)大統領府副報道官と鄭允在(チョン・ユンジェ)首相室民政2秘書官も、代表的な「釜山派」人脈だ。正義具現全国司祭団の創立メンバーである宋基寅(ソン・ギイン)神父は、釜山派の精神的支えと呼ばれている。

釜山派人脈は、特別な話題はないが、「原則主義」に固執する傾向が強く、政治家の赦免などの懸案解決法をめぐり、党としばしば摩擦をもたらしているという。

▼国民統合推進会議(統推)グループ〓盧大統領と政界で縁を結んだ側近グループだ。彼らは1995年の地方選挙後、金大中(キム・デジュン)元大統領が、国民会議創党を通じて政界に復帰したのに反発して、民主党を固守したが、翌年の第15代総選で大半が苦汁をなめた。

金元基(キム・ウォンギ)国会議長を含め、大統領政務首席秘書官を務めたウリ党の柳寅泰(ユ・インテ)、元恵栄(ウォン・ヘヨン)議員らが、代表的な人物。

昨年の総選で苦汁をなめた李康哲(イ・ガンチョル)大統領市民社会首席秘書官は、10月の再・補選出馬を慎重に検討中だ。

盧大統領は、1996年の総選で落選した当時、民主党員外の地区党委員長たちを糾合して「日曜会」を発足させ、李首席秘書官はこのメンバーに属した。ウリ党の趙慶泰(チョ・ギョンテ)議員も、日曜会のメンバーだ。

大半が政治家である統推や日曜会のメンバーの中には、まだ特別な職責がない人も少なくない。しかし、政治的活動の幅が広いため、話題に巻き込まれるケースもなくはないというのが、関係者たちの話だ。

▼ノサモ・グループ〓「盧武鉉を愛する人々の会」(ノサモ)所属の人脈も側近に属する。盧大統領の後援会長を務めた李基明(イ・ギミョン)氏は、ノサモのホームページにしばしば書き込みをし、ノサモを率いた。しかし彼は、ロシア油田開発疑惑にかかわって、検察の調査を受けた。

明桂男(ミョン・ゲナム)氏はノサモの代表を務め、ウリ党のイ・サンホ青年委員長は「ミッキー・ローク」というペンネームで、サイバー論戦を主導した。明氏ら一部ノサモ勢力は、今年の1月、国民参与連帯を結成した。李基明氏は国民参与連帯の常任顧問を務めた。



鄭然旭 jyw11@donga.com