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韓国と日本の経済開発競争60年

Posted August. 26, 2005 03:06,   

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ある国にとっては圧制者からの解放の年で、ある国にとっては世界大戦で敗れた年だった。両国いずれもその年、1945年が経済開発の出発点だった。韓国の1945年生まれの解放ベビー世代は、植民地の収奪が残した窮乏から脱するために、経済成長にしがみついた。日本の1945年生まれの敗戦ベビー世代は、数年間の戦争を自力で行なった技術力を基に、再建を実践する。

MBC(文化放送)は28日夜11時30分、光復(クァンボク)60周年特別番組、韓日共同企画「解放世代と敗戦世代」(チェ・ビョンリュン演出)第1部を放送する。2000年から日本のフジテレビと共同テーマで両国を比較してきた同企画は、今年は「経済」を通じて韓日の競争関係を診断した。両国の経済開発の主役である解放ベビー世代と敗戦ベビー世代の活躍を通じてだ。

韓国の解放ベビー世代は、成人しても窮乏から脱け出すことができなかった。1965年の韓日協定が締結された時、屈辱で憤慨したものの、一方では貧しさを克服することが何よりも重要だということに共感した。日本の敗戦ベビー世代は、すでに韓国の解放ベビー世代を追い越していた。彼らは10歳の頃、朝鮮戦争で得た外貨を基に、史上最大の好況という「神武景気」を迎えた。1956年には経済白書を通じて「もはや戦後ではない」と豪語した。

両国いずれも成長の動力になったのは、電子産業だった。しかし1960年代後半、韓国の技術は白紙状態だった。三星(サムスン)電子の尹鍾龍(ユン・ジョンヨン)副会長はこう振り返る。「技術もなく人もなく、外国企業と技術提携をしなければならないと考えて、米国や欧州の企業と接触したが、すべて断られた」。それで、韓国を生産基地として活用しようとした日本企業と、不利な条件で合作するしかなかった。

当時活躍した技術者たちは、日本の製品を分解して、まったく同じように作った。創意力のないコピーに過ぎないと言って、「デッド・コピー(dead copy)」と呼ばれた。それさえも個人的な親交を最大限に活用して、時には捻り込んで頼み込んで技術を得た。

第1部では、このように開発の多くを日本に依存してきた1980年代までに照明をあてる。9月4日の同時間に放映される第2部では、アナログからデジタル時代の転換がもたらした両国関係の逆転と再跳躍の足場を固める日本企業を照らし出す。



kimjy@donga.com