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傲慢なMS、韓国ゲーム開発会社と手を組む

傲慢なMS、韓国ゲーム開発会社と手を組む

Posted November. 03, 2005 07:19,   

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●ゴリアテとの戦いで勝ったダビデ

韓国のゲーム開発会社、パンタグラムの社員は20名。世界市場でしのぎを削る米国・日本の有名ゲーム会社の社員が数百名、数千名であることを考えると、非常に小規模だ。この小さな会社への高い評価は、国内ではなく海外からきた。2002年末、数千億ウォンを投資して「Xbox(エックスボックス)」ゲーム機をつくった米マイクロソフト(MS)は、良質のゲームを作ることのできる会社を探していた。

パンタグラムはその基準にぴったりだった。この会社はすでに、2000年に米国でコンピューター用ゲーム「キングダムアンダーファイヤー」を売り出し、実力が認められていた。

こうしてつくられた続編クルセイダーズは45万枚以上を販売し、2004年Xbox用ゲームのうち2番目に高い収益を上げた。1位は1000万枚を超える収益を上げたゲーム「ヘイロー」だったが、開発費とマーケティング費用に40億ウォンを投資したクルセイダーズは「いいビジネス」だった。

クルセイダーズの成功の原因は、互いに異なる種類のゲームを一つにする発想の転換。

クルセイダーズは、スタークラフトのような戦略中心のゲームと格闘を繰り広げるアクションゲームを一つに合わせた新しい形のゲームだった。

クルセイダーズの成功に鼓舞されたMSは、現在160億ウォン以上の製作費をかけて次世代ゲーム機である「Xbox360」用のゲーム「ナインティーナイン・ナイツ(N3)」をパンタグラムと共同でつくっている。

●ゲームにすべてをかけた

李サンユン(34、写真)パンタグラム社長は、高校2年時の1988年、8ビートコンピューター用のゲーム「テマソン」を友達と徹夜ででつくり、ゲームと縁をもった。

当時、コンピューターゲームは薄暗い「ゲームセンター」で楽しむものと考えられた。ゲームをつくるのは「変わり者」の行動だった。彼も他の友達のように大学進学を選択して漢陽(ハンヤン)大学数学科にトップで入学したが、大学には適応できなかった。結局、1994年に学校を中退し、友人5名とともにゲーム会社を立ち上げた。パンタグラムのスタートだった。

パンタグラムは、違法コピーが盛んでゲーム人口も少ない国内市場の代わりに、米国、日本などゲーム先進国市場を直接ターゲットにした。その結果、1996年、日本に輸出された国内初のゲーム「ジクルラント」を製作し、2000年に米国進出をはたした。

李社長は「韓国がオンラインゲームの宗主国と認められる期間はそれほど長くなく、まもなく海外企業との競争が激化する」とし「海外のトップ企業と競って勝てる技術なしに、国内で繰り広げる競争は無意味だ」と話した。



sanhkim@donga.com