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恐怖の外龍球団、ドキュメンタリー映画に

恐怖の外龍球団、ドキュメンタリー映画に

Posted April. 13, 2006 03:19,   

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#場面1/国家代表一人いない市民球団がリーグ首位

国家代表を一人も持たない市民球団。古巣のチームから放出されては、チームからチームへと転々と移り変わっていた選手たち。定まった練習場も持たず、京畿道(キョンギド)、江原道(カンウォンド)を転々とする選手生活。

2005年前期リーグが始まる前、各マスコミは揃って仁川(インチョン)ユナイテッドをリーグ最下位に予想した。

しかし張外龍(チャン・ウェリョン)監督は、選手たちに「前期7勝3分け2敗でプレーオフ進出」を壮語して、ロッカールームのホワイトボードに数字を書いた。選手たちも、最初は監督の見栄だと思った。

しかし、張監督は夜も寝ずに仁川と相手チームの試合内容を分析し、これをビデオテープにして選手たちに見せては、一人一人の選手に目標を設定してあげた。少しずつ、選手たちも自信感を取り戻すようになった。

前期リーグの成績は、監督が掲げた目標通りだった。張監督は後期リーグの開始とともに「6勝3分け3敗」というまた新しい公約を打ち出したが、不思議にもずばりその通りの成績で、仁川はリーグを終えて前後期統合1位を占めた。

#場面2/パンと飲み物、密かな仕入れ…隠れた後援者たち

いつからか仁川サポーターズたちが遠征応援に駆けつけると、誰かがパンと飲み物を送っていた。サポーターズの人数に合わせて食べ物を仕入れられるのを見ると、メンバーの一人であることは間違いないのだが、球団職員たちが探し出しても「隠れた後援者」は正体を現わさなかった。

昨年8月、城南(ソンナム)とのアウェーの時、何の縁故もないソウル西文(ソムン)女子高2年生13組の生徒たちが団体応援に来た。応援団を組織した主役は、同クラスの担任だったペ・ソクイル氏だった。

仁川の熱狂的なファンであるペ氏は、「一等と最高だけが評価される社会だけど、みんなが大事で、お金よりは挫けない強靭な精神が先だということを、仁川は教えてくれる」と話した。

ペ氏は、自身が担任を受け持っているクラスを「仁ユ組」と名付けた。ペ氏が出す英語のメモテストには唖然とさせる問題があった。「最近の試合でアシストをした仁川の選手は?」「張外龍監督は何年生?」「ソ・ドンウォンの背番号は?」といった具合だ。

#場面3/張外龍監督−主将イム・ジュンヨン選手の「ヒューマンリーダーシップ」

昨年11月、蔚山(ウルサン)とのチャンピオン決定前第1戦で、李天秀(イ・チョンス)のFKがイム・ジュンヨンの顔に当たってゴールに入った。任意脱退選手として受け入れるチームがなくて流浪生活を送っては仁川に合流したイム・ジュンヨンは、チームの主将としての重い責任と続く試合で疲れが溜まり、ついに病院に運ばれ「肝臓の解毒機能低下による一時的な視力低下」診断を受けた状態だった。

しかし、イムに取って代わる選手もいなかった。イムは出場への強い意志をアピールした。

チームの士気を考慮して、相手に弱みを見せないために、このことは最後まで秘密に付した。張監督とチームドクターも涙をのんでイムを出場させた。後日、イムは「感覚はあったけど、ボールが正確に見えなくて顔に当たった」と打ち明けた。

#11人のスタッフが24時間密着取材…6月封切り

主演=張外龍監督、助演=仁川選手とフロント、サポーターズ。

韓国初のサッカードキュメンタリーで、韓国初の商業ドキュメンタリー映画が出る。

「恐怖の外龍球団」(仮題)は、韓国プロサッカーに突風を巻き起こした仁川ユナイテッドを背景にした実話ヒューマンドラマ。イム・ユチョル監督など11人の制作スタッフは、この映画を撮るために昨年9月から選手団を密着取材した。最初はテレビドキュメンタリー用に取材を始めた制作会社のチューブピクチャーズの制作陣は、見れば見るほど魅力的なこのサッカーチームの話を映画化する方向に舵を切った。ロッカールームでの作戦会議、選手団の宿舎、合宿練習場、サポーターズ、監督と選手の家族たちの様子もロケした。

現在、90%の撮影が終わり、今年6月のドイツW杯に合わせて封切りする。



jaeyuna@donga.com