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「愛国志士の子孫を助けるという約束が守られて嬉しいです」

「愛国志士の子孫を助けるという約束が守られて嬉しいです」

Posted August. 12, 2006 10:22,   

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「わずかばかりのお金だが、愛国志士の子孫たちに希望を与えたいです」

ある独立運動家の息子が11日 、11年間もらった報勲年金などを集め、経済事情のよくない独立有功者の子孫たちを助けることに使ってほしいと、1億ウォンを東亜(トンア)クムナム財団に寄託した。

主人公は、ソウル松坡区(ソンパグ)で外食業を運営する朴ウォンジェ(55・写真)さん。朴さんは、抗日独立活動家の故・朴亀鎭(パク・クジン、1881〜1951)先生の末息子だ。

平安南道成川郡(ピョンアンナムド・ソンチョングン)で生まれた故・朴先生は、1909年から同郷出身の義兵長、チェ・ウンオンとともに、黄海道(ファンヘド)、平安道などで抗日運動をした。

軍資金を用意するために成川郡金融組合を襲い日本人巡使3人を射殺するなど勇猛をふるった故・朴先生は、1919年、日本警察に逮捕されて、15年の刑を言い渡され、平壌(ピョンヤン)刑務所で12年を服役した後仮釈放された。

息子の朴さんは、「父が白凡・金九(ペクポム、キム・グ)先生とも付き合いがあって、白凡先生が家に訪ねて来たこともあったと母から聞いた」と言った。

しかし、故・朴先生が韓国戦争の渦中で病気でこの世を去った後、遺族たちは独立運動有功者遺族と認められるまで20年間も関連資料を捜し求めなければならなかった。

「日本、中国など父の独立運動事実を認めてもらえる資料が残っている所なら行かなかった所がありません。1993年にこの世を去った母の遺言が、『かならず父が独立運動をしたことを証明しなさい』ということでした」

そうする途中、本報1994年8月16日付で朴さん家族の事情が紹介され、報道から一週間後に、報勲処資料管理課で平壌刑務所から京城(キョンソン)に送った故・朴先生の「仮出獄関係書類」が発見された。

故・朴先生は功績を認められて、1995年、建国勲章愛国章を授与され、1996年、国立墓地に葬られた。

朴さんは、「褒賞を受けた日、飢えた日が数え切れないほど貧しい生活を強いられた幼い時代が思い出され、涙を流した」と言った。当時、朴さんはお金に余裕ができたら貧しい愛国志士の子孫たちを助けると決心し、11年ぶりに約束を守った。

朴さんは、「叙勲10年目になる日に余裕のあるだけ寄付することを息子と約束したが、昨年、事業が難しくなって、1年延ばした」と感激にたえないように言った。

今年の光復節はちょうど故・朴先生の忌日(旧暦7月23日)の前日なので、朴さんにとっては格別な意味を持つ。朴さんの夢は「朴亀鎭装学財団」をつくること。

朴さんは、「子孫たちのためにも、国家が積極的に独立運動の記録を捜さなければならない。貧しい生活をしている独立有功者の子孫たちに、社会がもっと多くの関心を持ってほしい」と言う。



peacechaos@donga.com