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交易と援助「ぱったりと」、核爆弾にあった北朝鮮経済

交易と援助「ぱったりと」、核爆弾にあった北朝鮮経済

Posted October. 09, 2006 07:08,   

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北朝鮮と中国の最大の交易関門である中朝友誼橋。

新義州(シンウィジュ)と中国丹東を結ぶ橋で、一時は渋滞するほど賑やかだったが、このごろはひやりと感じられるほど静かだ。7月の北朝鮮ミサイル発射に続き、最近は核実験危機が高まりつつ、対北朝鮮支援物資が大きく減少したからだ。

そのような中、川辺を守る北朝鮮の兵士は記者を見るやいなや、お金を要求してきた。メンツも何もなさそうだった。核武装を通じて国を自ら守ると大口を叩く北朝鮮の実際の姿だった。

▲静かな中朝友誼橋〓仲秋節である6日。5日ぶりに丹東税関が再開した。1日から続いているた連休で、貿易業者らが不便を強いられていることを勘案し、休日だが再開したのだ。

しかし、北朝鮮から橋を渡ってきたトラックは20台余りに過ぎなかった。北朝鮮に入るために税関の庭先に並んでいる中国側のトラックもわずか40台余り。トラックは2時間もしないうちに税関を通過して橋を渡った。

北朝鮮を行き来しながら商売を営んでいる中国人の貿易業者は、「以前は1日200台余りの車が橋を行き来したが、最近は100台余りにもならないようだ」と話した。

北朝鮮と中国の貿易量の30%、対北朝鮮支援物資の70%がこの橋を渡って北朝鮮に入ることを勘案すれば、対北朝鮮支援及び交易量がどれほど減少したかを実感することができる。

北朝鮮が7月初めにミサイルを発射してから、韓国と中国の支援物資が激減し、交易量が目立って減少してきたと、同地に進出してきた韓国人投資家らも口を揃えて話した。

▲お金を要求する北朝鮮兵士〓秋夕(チュソク=旧暦のお盆)を1日後に控えた5日午後、丹東市内の中心から東北へ15km離れた寛甸満州族自治県の鴨緑江(アプロクガン)の川沿いは、いつもと同じ閑散とした姿だった。

ここから幅2、3mの小川さえ渡れば、すぐ北朝鮮側の島である魚翅島(オシド)に着く。国境線とは感じられないほど狭い小川には、カモがのんびりと泳いでいた。

しばらく眺めていると、国境を守る北朝鮮兵士が姿を現わした。彼は近付くやいなや、直ちに北朝鮮特有の荒い言葉使いで「金をくれ」と話した。

お金を渡すために小川に降りようとしたら、一緒に来た中国人観光客に止められた。小川を渡ると越境なので、中国側の武装警察に見つかれば、直ちに刑事処罰されるというのだ。

北朝鮮兵士は残念そうな表情で長い間待ってから、森の中に消えていった。

▲貨物船の消えた新義州港〓秋夕の午後、新義州の川辺に沿って観光する遊覧船に乗った。近づくにつれ、川辺には廃船が幾重にも並んでいるのが見えた。埠頭のタワークレーンの横には貨物船が1隻もない。埠頭に仕事が全くないと言える。

さびた船舶と薄暗い建物の間に、赤い字で大きく書かれた看板が見える。「21世紀の民族の太陽、金正日(キム・ジョンイル)将軍万歳」と書いてあった。

一方、丹東の港は荷役作業で忙しい。北朝鮮から古鉄を積んできた船舶もある。

中国丹東韓国人会の関係者は、「北朝鮮が中国に輸出する物資は石炭と銅、鉄鉱石のような鉱物が大部分だが、最近にはそれさえもままならないのか、古鉄まで集めて持ってきている」と話した。



orionha@donga.com