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韓国でシングルマザーとして生きること

Posted May. 19, 2010 03:01,   

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韓国社会でシングルマザーは、「レッテル」を張られたまま生きなければならない。シングルマザーになるその瞬間、周辺からの視線は様変わりする。韓国では、シングルマザーの道は茨の道だ。大半のシングルマザーが、子供を育てず、養子縁組機関に預けるのも、そのためだ。子供の養子縁組問題の根本的な解決策も、シングルマザーへの認識変化から始めるべきだという指摘も出ている。性の開放化という大きな流れの中で、未婚女性の妊娠や出産は次第に増えざるを得ない。さまざまな家族形態を認める家族政策の進化が必要な時期に来ている。娘を女手一つで10年以上育ててきたあるシングルマザーの物語を紹介したい。彼女は、「シングルマザーの中にも『勇敢なママ』がいることを示したかった」と話した。本人の希望で名前は仮名を使った。

「ママ、パパがいることって、大事なことの?」

「ロロ」(9)は、小学3年生の女の子だ。アニメのキャラクター「ポロロ」に似ていて、「ロロ」というあだ名がついている。ある日、教会で友達が尋ねてきた。

「ロロちゃんは、パパがいないの?」

「うん、いないよ。パパがいるのって、そんなに大事なことなの?」

「もちろん、大事だよ!」

「私はちっとも大事じゃない」

その日、ロロは、自宅に戻ってきてママに聞いてみた。「パパがいることって、大事なことなの?」

「ある子にとっては大事なのかも知れないけど、みんなにとってそうではないわ。でも、パパっていう存在は大事だよね」

「ママ、シングルマザーって何?」

ロロはいつか、読んでいた本の中から「シングルマザー」という言葉を目にした。本に紹介されている家族関係が、自分と似ていると思い、その日、母親に聞いてみたのだ。

「シングルマザーって何?」

「結婚しないで、子供を生んで育てる人のことよ」

「ママとおばさんたち(シングルマザーの生活施設で会った人々)は、皆結婚しないで、子供を育てているでしょ。それって、みんなシングルマザーなの?」

「うん」

「なるほど!」

ロロはもはや、自分にパパのいないことを自然に受け入れているようだ。それでも母親のチェ・ユソンさん(仮名・34)は、ひょっとしたら、ロロがそのため、外で傷つくこともあるのではないかと気になり、このようなことも付け加える。

「ママが悪いことをしたわけじゃないけど、友達にはその話はしないでほしい。ママには心の痛い話だから」

そのため、ロロはたまには、うそをつく。友達のお母さんが、「パパはどこにいるの?」と聞いてきたら、「パパは仕事をしてます」と答える。

●自宅—学校—自宅—病院…叶いつつある看護師の夢

ユソンさんと会ったのは今月8日、金曜日の午後5時、ソウルのある住宅街だった。ピンク色の帽子つきTシャツにジーンズ姿の彼女は、身長が179センチと高く、やせた体つきだった。リュックサックを背負ったまま、自転車に乗って路地に現れたユソンさんは、学校の授業からの帰り道だと言った。彼女は現在、3年制看護短期大学に通っている。デザイナーになるのが夢だったが、今は諦めた。過労で倒れた後、医師から、「重いものは持たないように」と言われたからだ。

彼女の後について入った家は、3つの小さな部屋があるだけだった。家の中では大きな風船や子犬のぬいぐるみが転がっており、冷蔵庫には色とりどりの折り紙がついていた。

学校から帰ってきたロロは、友達と一緒に本を読みながら遊んでいた。母に気づいたロロは、甘えたがっていたが、ユソンさんは、子供と付き合う時間がなかった。周辺の病院にバイトにいかなければならなかったからだ。彼女は、子どもにおやつをあげたあと、再びカバンを背負った。午後6時から10時までは病院で、入院の受付などの仕事をする。自宅に帰ってくるのは午後10時半。学校の勉強を済ませ、午前2、3時になってようやくベッドに入ることができる。学校の授業は翌日9時から始まる。学校に通うようになってから、彼女の日常はこの数年間、このようなパターンで行われている。

●娘を産んだ日に耳にしたのは、祝いの言葉の代わりにため息

「ロロのパパ」になるはずだったユソンさんの元彼は、金持ちの末息子として生まれ、甘やかせて育てられた同じ年の男だった。大学入試に失敗し、浪人していたときに出会い、3年間付き合った。妊娠の事実を初めて知らせたときの彼の表情は、今も忘れられない。「恐怖」そのものだった。ユソンさんは、「子供の父親になるはずの男が、夫の資格、父親の資格のない男だということに、妊娠後ようやく気づいた」と話した。彼とは連絡を絶った。そうすれば、訪ねて来るのではと期待したが、「案の定」そんなことはなかった。

周りの人々から言われた対策は、①別れてから堕ろす、②別れてから産む、③産んで結婚するの3つだった。どれも容易な選択ではなかった。ユソンさんは結局、②の案を選んだ。

彼女の両親は、「子供を堕ろす」よう、強要した。出産を主張すると、両親は隣人に知らせまいとして、引越しまでした。今でも納得していない母親は、今も彼女を許していない。彼女は現在、両親からは勘当同然の状態だ。

ユソンさんは25歳になった01年、ソウル西大門区(ソデムング)のエランウォン(シングルマザーの生活施設)に一人で入り、子供を産んだ。出産当日、「お祝い」ではなく「ため息」や「慰め」の言葉を聞かされた。

一人での子育てを決心した後、最も辛かったのは、ほかの人々の「視線」だった。最初は恥ずかしくて、2週間、エランウォンの建物の外には一歩も出なかった。知り合いと会うかもしれないことを恐れたからだ。

エランウォンで7ヵ月間生活し、敷金2000万ウォンの家を借りて暮らした。赤ちゃんと二人きりだった。OL時代に貯めておいた金を少しずつ崩して使った。子供が保育所に行く年になると、短期大学に入り、デザインの勉強を開始した。デザイナーの夢をかなえたかった。

学校から戻ってきて、子供を寝かせれば午後9時となった。その時から午前1時まで勉強をした。再び午前1時からバイトをした。生地に針仕事で飾り物をつけるバイトだった。ベッドに入るのは午前3時。3、4時間の睡眠をとった後、起きる毎日だった。休みの時は、掃除の仕事や本屋でのバイトなど、手当たり次第に働いた。金を稼げなければならなかったからだ。2年間、そのような生活をしながらも、授業料を惜しみながら一所懸命に勉強した。ユソンさんはいつもトップの成績を収めた。

●「シングルマザー」を口にしたとたん、合格はキャンセルされ…

しかし、シングルマザーの身分での就職は容易ではなった。大学を卒業した05年冬、デザイン関連の中小企業で面接を受けた。年収の話などもほぼまとまる頃、ためらいながら話を切り出した。

「申し上げたいことがあります。実は、私は子供を一人で育てているシングルマザーです」

その瞬間、50代の男性社長の顔がゆがんだ。

「そんなことは、最初に話すべきじゃないか。時間ばかり取られてしまった」

大声でわめく社長をわき目に、そのまま出てしまった。大半はこれと同じだった。最終面接まで残っても、シングルマザーであることを明らかにすれば、不合格の通知が届いた。こうして9度も面接を受けた。結局、シングルマザーであることを隠してから、中小企業に就職することができた。年収は1800万ウォン。結構な条件だった。

6ヵ月後、いつも通りの月曜日の朝。顔を洗った後、髪を洗うために体を屈めた瞬間、後ろに倒れてしまった。ものすごい痛みが走った。救急車で運ばれ、病院に向かう車の窓の外の風景は、余りにも平穏に見えた。そうしながら気を失った。

●私の吸う空気すらもったいなく思っているようだった

目が覚めたとき、自分はICUにいた。何日間が過ぎていた。「大動脈剥離」(心臓と繋がっている大動脈の内部が破裂して、分離すること)だった。医師は、「死ぬところだった」と話した。

いきなり、涙が溢れた。「死にたかったのに、世の中が辛くて毎日、死ぬことを願いながら生きてきたのに。これからもどれだけ、この辛い世の中を生きなければならないの…」。誰も、その涙の本当の意味には気づかなかった。

彼女は、病院のベッドで思考の旅に出た。胸の痛い名前「シングルマザー」を再び思い浮かべた。彼女は、シングルマザーになった後は、地球の空気すら、自分が吸うのを勿体がっているような気がした。それで、自分は「生きていてもよい人」であることを証明するため、何でも一所懸命にやった。その一方では、自分が自らを罪人扱いをしていることに気付かれないように、「うそや堂々さ、努力」という仮面をかぶって生きてきたという思いがして、再び涙がこみ上げてきた。

その時、彼女は神の声を耳にした。「認めてもらうために頑張らなくても、愛されるために頑張らなくても、君がどのような姿であれ、君がどのようなことをしていても、私はいつも君の傍にいる」

この出来事を経験した後、彼女はずいぶん変わっていた。忙しく、辛い生活は変わらなかったが、まず、子供に接する態度は様変わりした。以前は娘が、「父親がいない子はね」と言われないように、娘を厳しくしつけた。たまには、娘が「大人っぽい」、「おとなしい」と言われれば、一人で、「シングルマザーの娘」であることがばれるのではないかと、気をもんだりした。

しかし、大きな痛みを経験してからは、彼女は娘を大目に見るようになった。「子供と一緒に幸せな時間を多く過ごそう」と考え、休日は、子供と公立の図書館に行って、一日中一緒に過ごした。図書館では3000ウォンの豚カツを昼食で食べられる上、無料でアニメも見ることができる。親子には「大きな幸せ」を与えるところだ。

「ママ、私を生んでくれて、ありがとう!」

娘は明るく育ってくれた。5月8日の両親の日、ロロが母親に何かを差し出した。

「ママ、プレゼントがあるの」

「何?」

「学校で作ったもの」。「両親の日」のカードだった。

「あ、そうなの。上手ね。ありがとう」

一所懸命に青色のラインが書かれている便箋に、ロロはこのように書いた。

「ママ。こんにちは。私は○○○です。私を産んでくれてありがとう!だから、一所懸命に勉強します!学校も一所懸命に通い、お母さんを喜ばせたいと思います♡。♡♡♡」

カードを読んでいたユソンさんは、独り言をつぶやいた。「この子は、いつも、産んでくれてありがとうって言うのです」。彼女の顔に小さな笑みが広がった。