Go to contents

高句麗軍武将の鉄製鱗鎧発掘、原形の保ったものでは初めて

高句麗軍武将の鉄製鱗鎧発掘、原形の保ったものでは初めて

Posted May. 18, 2011 04:39,   

한국어

原形を保った状態の高句麗(コグリョ)の鉄製の鱗鎧が初めて発掘された。

京畿道漣川郡(キョンギド・ヨンチョングン)の高句麗堡塁遺跡を発掘しているソウル大学博物館の発掘調査団(団長、李鮮馥教授)は17日、「臨津江(イムジンガン)の川べりの無等里(ムドゥンリ)第2堡塁で、高句麗武士の鉄製鱗鎧を見つけ、発掘が行われている」と明らかにした。

これまで、高句麗の鉄製の鱗鎧の欠片が数個ずつ発掘されたことはあるが、原形のままで発掘されたのは韓国、北朝鮮、中国を通して初めてのこと。

漣川地区は、6世紀前後に高句麗、百済(ペクジェ)、新羅(シルラ)による争奪戦が激しかった場所。無等里堡塁は、臨津江を境界にして新羅軍と対峙して戦闘が繰り広げた高句麗軍の城郭基地。ソウル大学の発掘団は、漣川郡の依頼を受けて先月から無等里堡塁の内部遺跡を発掘調査してきた。

鉄製の鱗鎧の一部が初めて姿を現したのは、今月8月のこと。城郭内の主要軍事施設の出入り口と推定される門の柱のすぐ隣で見つかった。最初は鉄製の鱗鎧の首の部分だけが露出したが、さらに発掘が進み17日には肩と手首の部分まで露出し、鎧が全容をさらけ出した。

李鮮馥(イ・ソンボク)教授は、「出入り口の隣で見つかったことから、重要軍事施設を守っていた高句麗武将が新羅軍の急襲を受けて、急いで鎧を捨てて逃げたのではないかと思われる」と説明した。

今回発掘された鉄製の鱗鎧は、小さな鉄製の欠片を革紐で綴った「札甲(さねよろい)」の形をしている。鉄板を胸部に丸ごと当てた伽耶(カヤ)軍の「板甲」とは異なる形だ。高句麗兵士の鉄製鎧は、これまで高句麗壁画を通じてのみ、その模様を推測することができたが、今回の発掘で正確な形を把握することができるようになった。

李教授は、「高句麗の鉄鎧を、実物で、しかも原形のまま確認することができたことは、古代史研究における大事件だ。三国時代の戦争史や高句麗研究に貴重な史料になるだろう」と評価した。

漣川の臨津江流域からは、これまで高句麗城郭、鍛冶炉(製鉄施設)、火に焼けた軍糧米などが発掘されている。発掘調査団は18日午後、発掘現場で学術諮問会議を開き、発掘調査内容を公開する予定だ。



holyjjin@donga.com