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日本で8年間頑張っている李承鎏、彼が偉い理由

日本で8年間頑張っている李承鎏、彼が偉い理由

Posted July. 29, 2011 07:14,   

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昨年の今頃、金泰均(キム・テギュン、29)は、日本プロ野球千葉ロッテで最高打者だった。前半期だけで18本塁打に73打点を記録した。両部門どちらもパ・リーグトップだった。パ・リーグ最多得票でオールスター戦にも出場した。

ところで当時、日本で会った金泰均は深刻な重圧感やストレスに悩まされていた。「私はたくさんのお金をもらって来た助っ人ではないか。1試合でも打てなかったら、不安でたまらない」、「どうしてここに来て、こんなに苦労しているのだろうかと後悔したりもする」と当時の悩んでいた心境を打ち明けた。そして、睡眠薬を飲まなかったら、よく眠れない日も多かったという。

表向きでは派手でも、外国で野球をするというのは思ったより簡単でない。成績が良くてもこれほどストレスが溜まるのだから、うまくいかない時は言うこともない。

27日浮き彫りになった金泰均とロッテの契約破棄は、この延長線上で理解できた。金泰均は3月の東日本大震災の時に大きな衝撃を受けた。日本でプレーすること自体が不安だった。妊娠中の妻のことも心配だった。試合に集中できなくなってから、負傷も多くなり、野球も思い通りに行かなかった。金星根(キム・ソングン)SK監督は、「弱すぎるのではないか」と指摘したが、たくさんのことを投げ出す覚悟をするほど、金泰均は切羽詰っているはずだ。

この場面でオーバーラップされる人物がオリックスでプレーしている李承鎏(イ・スンヨプ)だ。日本で気苦労している選手と言ったら、李承鎏ほどの選手が他にいるだろうかと思われるほどだ。

趙成鏜(チョ・ソンミン)、陳文賓(チョン・ミンテ)、李鍾範(イ・ジョンボム)、李炳圭(イ・ビョンギュ)、李机浩(イ・ボムホ)ら、日本でプレーしたことのある選手は、「大変だった」と口を揃える。その大変な暮らしを李承鎏は8年間やっている。

紆余曲折も多かった。日本進出初年度の2004年、ロッテでは候補であったし、翌年にはプラトーン・システム(左腕、右腕投手次第で起用されること)に組まれた。巨人では4番打者として最高の時間を過ごしたりもしたが、ここ2年間は1、2軍を行き来しながら数々の恥をかいた。李承鎏は「口にすることさえ恥ずかしい出来事が少なくなかった」と話す。しかし、日本で名誉挽回することだけを考えて、今年オリックスへ移籍した。激しい打撃不振で2軍に降格されたりもしたが、前半期の終盤から回復に向かい、チームの主力として位置づけられ始めている。

強い者が生き残るのではなく、生き残った者が強いという言葉がある。そのような点で真の強者は李承鎏だ。しばらく忘れていた彼の忍耐強さに改めて感心する。